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屋部の八月踊り 伝統的な組踊、形残す<風・土・人 シマの伝統行事>


屋部の八月踊り 伝統的な組踊、形残す<風・土・人 シマの伝統行事> 御願踊りとして奉納された「コテイ節」=9月12日、名護市屋部
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 県の無形民俗文化財に指定されている名護市屋部の八月踊りが9月9日から13日まで開かれた。旧暦8月10日にあたる9月12日は、区内のアサギやノロ殿内(どぅんち)などで祈願して、踊りを奉納する「正日(ショーニチ)」で、踊りの出演者らや市内の子どもらが隊列をつくって区内を道ジュネーし、長者の大主などの御願踊りを奉納した。区内外からも多くの観客が集まり、地域に継承された歴史ある踊りを楽しんだ。

 屋部の八月踊り130周年記念で1996年に発刊された「屋部の八月踊り」などによると、現在の屋部の八月踊りは、琉球王府時代、首里から伝わった「御冠船踊り」が元となっている。それ以前は、村内のハミンチュ(村民の願いを祈願する役)が区内のアサギに集い、長者の大主など簡単な踊りをささげる豊年祭りで、国頭村や大宜味村で見られるシヌグやウンジャミ(海神祭)などと同じ方法だったという。それが、いつの間にか村踊りに比重が移り、現在の形になったとされている。

「踊り団」結成

 屋部の八月踊りの準備は、踊りの演目と出演者を決める「ミンクバイ(面配り)」から始まる。ミンクバイは旧盆前後に行われ、その日に「屋部踊り団」が結成される。踊り団は団長をはじめ、書記会計、舞踊や組踊などの師匠、衣装や道具の点検・修理をする「張り方」と呼ばれる人などで構成され、八月踊りの稽古や本番、衣装の着付けや化粧などの全ては区民で構成された踊り団で取り仕切る。

道ジュネー前に化粧をする出演者ら

 旧暦8月8日には、化粧をし衣装も着ての舞台総稽古「スクミ(仕込み)」が行われる。旧暦8月10日は「ショーニチ(正日)」と呼ばれ、神役の区民らがノロ殿内などで祈りをささげ、区民らで道ジュネーをした後に御願踊りを奉納する。翌日は「ワカリ(別れ)」といい、ショーニチと同じ内容の舞台を披露する。そしてワカリから1~2週間後に、反省会や慰労会を兼ねた「ワカリザンカイ(分散会)」が開かれ、八月踊りは終了となる。

 屋部の八月踊りは、ミンクバイからワカリザンカイまでの伝統的な沖縄の組踊の形が残されており、1988年に県指定の民俗無形文化財に指定された。

 今年のミンクバイは7月24日に行われ、踊り団に選ばれた区民らはショーニチにまで毎晩のように屋部区公民館に集まり、舞台の稽古に励んだ。本番当日のショーニチに当たる9月12日午前2時ごろ、公民館内では衣装の着付けや化粧などでせわしなく人が出入りした。同午後3時ごろ、旗頭を先頭に出演者らが行列をつくり、道ジュネーが始まり、屋部小学校など区内6カ所を巡り、「稲摺節(いにしりぶし)」を奉納した。市内の保育園児らも参加し、オリジナルの小さな旗頭を担いで道ジュネーに加わった。

屋部区内のフクギ並木の中を道ジュネーする出演者や区民ら

三つの御願踊り

 約1時間の道ジュネーの後、屋部区公民館に戻った出演者らは「長者の大主」と「コテイ節」、「稲摺節」の三つの御願踊りを奉納。厳正な空気が漂う館内では多くの観客が踊りを見守った。その後も、舞踊や狂言、組踊「矢蔵の比屋」など計22演目が披露され、観客らは伝統ある踊りを楽しんだ。

組踊「矢蔵の比屋」で、矢蔵の比屋に捕らえられた棚原按司の妻子(左)

 稲摺節や浜千鳥などに出演した比嘉凜さん(18)は「楽しいけど伝統の踊りだから難しいところもある。高校生のメンバーが少ないのでこれから増やしたい」と話した。凜さんの父の聡さん(48)も着付け役として裏方で奔走した。聡さんは「どの世界でも担い手が不足しているけど、子どもたちが楽しみながら参加しているのはいい継承の仕方だと思う」と話した。

 屋部踊り団長の比嘉正則さん(70)は「小中高生も結構な人数が入っている。若返っている感じもしていいね」としみじみと語った。20歳ごろには旗頭として八月踊りに参加し、以降、長い間、踊りに関わってきた比嘉さん。「地域一体となる行事だ。継承していくために若い人たちを育てたい」と意欲を見せた。

 (文=金城大樹、写真=金城大樹、池田哲平)

御願踊りの「長者の大主」
屋部小学校前を通る道ジュネーを興味津々で見学する児童ら

 八月踊り 旧暦の8月に開かれる。ウタキやウガンの広場などに神様を招き、ごちそうを供えて収穫を感謝し、住民の健康や幸せを祈願する。住民らが民俗踊りや古典踊り、組踊などを披露する。祭りが終わると、神様を送り出す。多良間の八月踊り(国指定重要無形民俗文化財)も有名。

 ノロ殿内 ヌルドゥンチまたはヌンドゥルチとも呼ばれる。奄美・沖縄諸島で村落祭祀(さいし)を執り行う最高位の女性神人「ノロ」が住む屋敷とされる。現在は住まいとして活用されている場合はほとんどない。ノロ殿内には、代々のノロの位牌と火の神(ヒヌカン)が祭られ、祭場として活用される場合が多い。

区民一丸、今後も継承

 台風の余波の影響も心配していたが、無事に開催することができてよかった。屋部の豊年踊りはミンクバイからワカリザンカイまでの昔ながらの形を残している。また、演者や教師など全て区民らで担当している。今後も継承していきたい。来年は160周年の節目の年にもなるので、区民一丸となって盛り上げていきたい。 

(大浜敏秀・屋部区長)