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ジャズ・民謡・ロック…戦後から続く多彩な音楽 DNA継承へ挑戦続く<チャンプルー半世紀・沖縄市市制50周年>6


ジャズ・民謡・ロック…戦後から続く多彩な音楽 DNA継承へ挑戦続く<チャンプルー半世紀・沖縄市市制50周年>6 沖縄市を中心に音楽活動とイベント運営などをするラッパーの¥uK―B(ヤックビー)さん=8月7日、沖縄市のギークハウス沖縄
この記事を書いた人 Avatar photo 福田 修平

【沖縄】戦後から現在に至るまで、民謡やジャズ、ロック、フォークなどさまざまなジャンルの音楽が栄えてきた。沖縄市の音楽文化は現在もライブハウスやミュージックタウンなどを中心に花開いている。エイサーやバスケなどが盛り上がりを見せる一方、「沖縄市と言えば音楽の街」という声は現在も根強い。沖縄市を中心に活動をする若いミュージシャンは、沖縄市の音楽を「過去の栄光にしない」と熱を込める。

 戦後の沖縄市(旧越来村、コザ市)は米軍人や軍属向けの商業で発展し、アメリカ文化が街に浸透していった。当時アメリカで流行していたジャズがコザ市でも求められ、基地内に招かれ演奏をするバンドも多かった。

 ベトナム戦争期になると、戦場に向かう米兵らは激しいロック音楽を求めるようになる。バンドが市内の店と契約し演奏することで、大きな経済効果をもたらした。

 アメリカ文化だけではない。戦後は多くの民謡歌手もコザ市を中心に活動するようになり、現在も新たな民謡曲などが生まれ続けている。
 沖縄の音楽資料の展示などをする「おんがく村」の砂川由美子さんは、コザ市、沖縄市の特殊な点として、ベトナム戦争期の音楽や、音楽を楽しむ場所が今も残っていることを挙げる。横須賀など、県外の米軍基地のある場所でも同じように音楽文化が生まれていたはずだが、今も当時と同じような環境で音楽を楽しめるのは沖縄市の特徴だという。

 砂川さんは「新しい音楽が生まれている一方で、昔ながらの形態も残るアンバランスさもある。県外のハードロックファンからは『天国だ』と言われることもある」と魅力を語った。

 ミュージックタウン音市場の野田隆司館長は、現在の沖縄市の音楽について「ヒップホップなど新しいジャンルも盛んになっており、バラエティーに富んでいる。沖縄市はエイサーなど音楽と芸能の土壌があり、そのDNAを現在も引き継いでいるのでは」と推察した。

 ピースフルラブロックフェスティバルは今年で39回を迎え、今や沖縄市の夏の風物詩だ。オレンジレンジや紫、髭のかっちゃんなど、沖縄を代表するミュージシャンが出演してきた。野田さんは「街と結びついているピースフルのような音楽イベントが長く続くなかで、沖縄市で養われた音楽の精神が継承されてほしい」と期待する。

  「沖縄市の音楽を過去の栄光にしたくない」。そう語るのは沖縄市を中心に音楽活動とイベント運営などをするラッパーの¥uK―B(ヤックビー)さん(32)だ。これまでの沖縄市の音楽業界は、世代を超えた交流や、別ジャンル同士の関わりが少なかったのではないかと感じているという。

 自身が主催する音楽イベントでは、ヒップホップやレゲエのミュージシャンだけでなく、バンドも招待する。世代やジャンルを超えた交流をすることで、音楽業界全体の底上げを目指している。

 ヤックビーさんは、コザで米兵相手に音楽を披露していた時代はこの街をつくってきたものの一つだとしつつ「これまで通りの音楽シーンだと、時代とともに沖縄市の音楽が過去のものになっていくかもしれない」と危機感も示す。

  「新しい世代の活躍で、この街の音楽シーンに革命を起こしたい。上の世代の人たちが時代が変わったんだなと思うくらいに」。沖縄市の音楽シーンは熱く燃え続けている。 (福田修平)