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「音楽の街」これまでとこれから ミュージシャン2人が感じるコザの魅力とは<チャンプルー半世紀・沖縄市市制50周年>7


「音楽の街」これまでとこれから ミュージシャン2人が感じるコザの魅力とは<チャンプルー半世紀・沖縄市市制50周年>7
この記事を書いた人 Avatar photo 福田 修平

 【沖縄】「音楽の街」と言われる沖縄市は、ライブハウスやイベントなどが数多くあり、ミュージシャンが集い、音楽ファンを楽しませ続けている。音楽を通して沖縄市のこれまでとこれからついて、沖縄市を中心に活躍するミュージシャンである、ロックバンド紫のドラム・宮永英一さん(73)と、三線奏者の宜寿次光さん(25)に聞く。

 みやなが・えいいち 1951年6月生まれ。コザ中卒業後、ドラマーとして活躍。ロックバンド「紫」のドラムを務める。沖縄市市中央のキャノンクラブの代表も務める。

 「紫」宮永英一さん 「生」聴ける場所多い

 ―コザ市と沖縄市のこれまでを振り返って。

 「戦後、基地を持つ町で米軍需要による経済圏ができていった。われわれのバンドも、ほとんど休みなく演奏を続けていた。本場のロックを知る米兵たちに『雑音だ!』とののしられながらも、必死に演奏し続ける中で、ようやく評価を勝ち取っていった。このような状況の中で、当時のコザのバンドはレベルが高いものになっていった」

 ―コザと沖縄市の違いは。

 「沖縄市になってからは、音楽の傾向も本土思考になっているように感じる。現在いる米兵たちも若い世代になっており、ロックの形も少しずつ変化しているように思う」

 「コザの町は日本、沖縄、アメリカだけでなく、ドルを求めてアジアの国など世界中から人々が集まってきた。戦争を経た町の人々が、どのように生きてきたのかを知られる貴重な場所だ」

 「沖縄市は良い面も悪い面も歴史的な事実を隠してはいけない。いつ来ても楽しめる、そして平和も学べる町という大義名分を持つことが沖縄市になった意味だろう。愛と平和と自由を世界にアピールしてもらわないといけない」

 ―これからの沖縄市の音楽について。

 「これからは音楽がどんどん機械で作られるようになる。沖縄市は生の音楽が楽しめるライブハウスが他の地域よりも多い。この環境は市を挙げて大事にしなくてはならない」

 ぎすじ・ひかり 1999年2月生まれ。沖縄市高原出身。8歳で唄三線を始め、13歳でアルバムをリリース。沖縄市で開催されるライブやイベントで演奏を披露している。

 三線の宜寿次光さん 島唄盛ん レジェンドも

 ―コザの町や沖縄市の印象。

 「やはり音楽の街というイメージが強い。島唄の世界でもすごい先輩方が住んでいたり、コザを中心に活動していたりと特別な場所だと感じている」

 「一方で先輩方の話などを聞いていると昔の時代がうらやましいと思うこともある。沖縄ブームや民謡ブームがあったころに比べて島唄を聴く人は少なくなっているし、うちなーぐちを実際話している時代でもない。その時代にタイムスリップしたいなと思うこともある」

 ―音楽で沖縄市の強みとは。

 「沖縄市は島唄のイベントが多く、舞台に立つ機会が多い。先輩方の演奏を聴いて技術を学んだり、アドバイスをいただいたりなど貴重な時間を過ごしているなと思う」

 「演奏したときの反応も他の地域とは違う。沖縄市では演奏をしたときに踊ってくれる人が多い。とても盛り上がってくれるので演奏しやすい」

 ―これからの沖縄市と自身の音楽について。

 「沖縄市には島唄のレジェンドや、続いているイベントなど財産がたくさんある。街の雰囲気なども含めて『コザ』のブランドがあるので、もっと掘り起こしてほしい。市制施行100年になっても、音楽の街と思われるようになってほしい」

 「現在は沖縄でもポップスが主流になっているが、島唄がかっこいいということを分かってほしい。そのためにもステージに立ち続け、聴く人も演奏する人も増やしていきたい」 

 (福田修平)