<金口木舌>現代の「稲むらの火」を考える


<金口木舌>現代の「稲むらの火」を考える
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 戦前から敗戦直後にかけて、小学校の国語教科書に「稲むらの火」という話が掲載された。地震による津波が押し寄せる中、稲わらを重ねた「稲むら」に1人の住民が火を付け、村人を安全な場所へ誘導した

▼1854年12月24日(旧暦11月5日)の安政南海地震時、現在の和歌山県であった実話である。津波対策への理解と関心を深めるため、国は11月5日を「津波防災の日」と定める
▼コザ信用金庫名護支店で東日本大震災の写真展が開かれている。防災士でもある元名護市議の岸本直也さんが宮城県石巻市に通い、街の12年間を記録した。震災直後と今年2月の写真を見比べながら、復興の歩みや市民の暮らしを考えた
▼名護市役所、市民会館、警察署など行政機関が集中する地域は津波浸水区域。埋め立て地もあり、液状化の懸念もある。市は災害時の対応を視野に、庁舎の移転も検討する
▼防災対応で街の表情も変わりゆく。肝要なのは、日頃の備えと避難への心構え。安全な避難路の確認と周囲の避難困難者の把握が現代の「稲むらの火」となる。