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時には怒りも大切 <伊是名夏子100センチの視界から>161


時には怒りも大切 <伊是名夏子100センチの視界から>161
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 困ったり、嫌なことがあったりする時、どこに怒りや悲しみを向ければいいのかと悩む時があります。たとえば、車いすユーザーの私が行きたいレストランに階段しかなく、入れなかった時、まずお店で働いている人に「手伝ってもらえませんか?」とお願いをします。後日メールなどで「私だけでなく、ベビーカーなどいろいろなお客さんのためにも、スロープを用意してはどうでしょうか」と伝えることもあります。しかし建物管理は別の管轄だったり、費用が持てなかったり、忙しい時も多いでしょう。

 話し合いができ、改善の姿勢があると私も希望が持てますが、門前払いにされたり、車いすは無理です、の一点張りだったりすると、目の前の店員さんにイライラすることもあります。でも直接話ができる、その人だけの責任ではありません。

 では私が入れないレストランで楽しんでいる、他のお客さんを恨んだりするでしょうか。もしくは建物を設計した人や、実際に工事をした人に怒るでしょうか。階段しかないことを気づかずに、私の困りごとを何とも思わない、歩く人たち全般に怒るでしょうか。

 私が誰に怒ったとしても、怒られた方はびっくりし、自分に言われても困ると思うでしょう。また怒りを前面に出すと「障害のある人と関わると面倒だ」と思われてしまう可能性もあり、私は冷静に交渉を続けるようにします。だって私は怒りたいわけではなく、他の人と同じようにレストランで食事を楽しみたいだけなのですから。目の前にいる人が悪いのではなく、車いすのお客さんは利用しない、もしくは、車いすの人が我慢することは仕方ないと思われることに問題があり、そこを改善したいのです。

 ただ残念なことに、冷静に話をしようと思っても、時には、障害があり、体が小さく、女性の私がひとりで話すと、聞いてもらえないこともあります。自分が弱く見られ、バカにされていると感じて本当に悔しいです。だからあえて怒ったり、男性を同伴したり、たくさんの人を巻き込むこともあります。

 怒りの奥には悲しみがあります。どうにもならない思いや不安が、怒りなのです。怒ることは生き延びるための大切な手段です。だからこそ怒っている人を怖い人、ヒステリック、わがままと捉えて、個人の問題にすりかえるのは、やめたいですね。怒りの奥にある気持ちに寄り添い、一緒に動く人が増えることが、社会を変えていく大きな力になると信じています。


 いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。