18世紀の首里城奉神門に設置されていた石造欄干(手すり)の親柱が、那覇市内の個人宅にほぼ完璧な状態で残されていることが分かった。奉神門は正殿のある御庭(うなー)へ入る最後の門。記録によると欄干は1562年に完成し、何度か作り直している。戦前の首里城に関する資料は多くが焼失したため、琉球史に詳しい専門家は「歴史をひもとく上で貴重な資料だ」と評価する。
欄干を所有しているのは、那覇市首里平良町の津嘉山珍勝さん(79)。大正初期に当時首里市の市議会議員だった津嘉山さんの曽祖父が、財政難に陥っていた首里市から首里城の欄干十数本や礎石(そせき)などを買い取ったという。以降、自宅の庭で保管していたが大半は戦争で焼失したり、家の増改築の際に紛失したりした。戦火をくぐり抜け状態の良かった数本は、1950年代に首里博物館(現県立博物館・美術館)へ寄贈したという。
現在残っている欄干は2本で、うち1本がほぼ原形をとどめている。高さ84センチ、太さは15センチ角で、石質は細粒砂岩のニービヌ骨。
礎石は中国産の青石が使われており、現段階では奉神門のものか断定できないという。
15日、津嘉山さん宅を訪れ欄干を確認した県立芸術大学の安里進名誉教授は「太さなどから見て、18世紀頃の奉神門の欄干親柱に間違いない」と述べた。県立博物館・美術館の伊禮拓郎主任は「100年もの間、個人宅でこれほど良い状態で保存されていたことに驚いた」と述べ、戦前の首里城を知る上で活用できる貴重な情報源だと指摘した。 (当銘千絵)