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首里市が財政難で競売に 18世紀の首里城欄干、市議だった曾祖父が購入 「元々は県民の財産、返還したい」 沖縄・那覇


首里市が財政難で競売に 18世紀の首里城欄干、市議だった曾祖父が購入 「元々は県民の財産、返還したい」 沖縄・那覇 県立博物館・美術館伊禮拓郎主任(左端)と安里進県立芸大名誉教授(中央)に礎石について説明する津嘉山珍勝さん=15日、那覇市首里平良町
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 那覇市首里の津嘉山珍勝さん(79)の自宅庭で、100年にわたり保管されてきた18世紀の首里城奉神門の石造欄干(手すり)。1910~20年代、首里市は財政難を理由に首里城の一部取り壊しを決めた。取り壊しで出てくる石材を市が競売にかけた際、当時首里市の市議会議員だった津嘉山さんの曽祖父がいくつか買い取り、その後、先祖が脈々と受け継いできたことで守られた。津嘉山さんは「曽祖父は少しでも市財政の再建に役立てればとの思いで購入したのだろう」と思いをはせる。 

 津嘉山家は戦前、現在の自宅がある那覇市首里平良町にパナマ帽子を生産する帽子工場を設立した。明治、大正、昭和前期にかけて主に宮古、八重山から原料のアダンの葉を取り寄せ、大々的に帽子を生産していた。一時は300人以上の従業員を抱え、大阪や神戸に支店を持つほど繁盛していたが、沖縄戦により工場は焼失し廃業した。

 戦後も同地に屋敷を構える津嘉山家の庭には、曽祖父が落札した欄干や礎石が置かれているが、時代の流れと共に紛失したり破損したりしたものもあるという。

 「価値が分からず、きちんと管理しなかったことを反省している」

 首里の町で生まれ育った津嘉山さんにとって首里城は常に身近な存在だったが、2019年の火災を受け「改めて自分を含め、多くの県民の心の財産だったことに気付かされた」。

 100年もの間、自宅の庭にひっそりとたたずむ欄干は、意味があってここに保管されていたはずだと強調し、「元々は県民の財産。しかるべき施設に返還したい」と述べた。

(当銘千絵)