沖縄県 (おきなわけん)


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 1879年、琉球藩が沖縄県となる。明治末まで旧慣温存政策により、各制度の整備は他府県に遅れた。96年、那覇・首里に区制施行、国頭・中頭・島尻・宮古・八重山が郡になる。1908年、区制改正、沖縄県及島嶼町村制施行。09年、特別県制施行、県会議員選挙実施。大正末から昭和初期にかけ、県内経済が困窮し、ソテツ地獄といわれた。海外移民、県外就職に活路を見いだす。44年10月、米軍機による大空襲で那覇市の90%が破壊される。45年4月、沖縄本島に米軍上陸。住民を巻き込んだ地上戦となる。52年、対日講和条約・日米安保条約が発効し、奄美・沖縄は行政分離される。60年、祖国復帰協議会結成。ベトナム戦争激化に伴い反戦・復帰運動が高まり、68年行政主席公選、72年5月15日、日本復帰。米軍基地の整理縮小、経済の自立的発展が課題。6月23日は休日(慰霊の日)。県庁所在地那覇市。52市町村。人口132万7572人。

『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)