宜湾朝保 (ぎわん・ちょうほ)


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 1823~1876(尚コウ20.3.5~明治9.8.6) 1862~75年三司官、歌人。1835年、父の家統を継いで宜野湾間切の地頭職となり、宜野湾親方を名乗ったが、75年尚泰王の次男尚寅が宜野湾王子を名乗ったため、宜湾親方と称した。68年、維新慶賀使の副使として上京、尚泰を琉球藩王に封ずるとの命を受けるが、琉球処分につながり非難をうけ、三司官を辞任。『沖縄集』『沖縄集二編』を編集する。幕末琉球を代表する政治家、文人。(コウはさんずいに景の右に頁)

『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)