護佐丸 (ごさまる)


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 ?~1458(?~天順2) 唐名は毛国鼎、号は瑞享、中城按司護佐丸盛春。娘は尚泰久王の夫人。1416年、尚巴志の北山討伐に従軍し今帰仁城を攻略、次いで北山監守として同地に駐屯。その間に居城を山田グスクから座喜味グスクに移す。その際、山田グスクの石を手渡しで運んだという説話は有名。その後、中城グスクに移転。58年、阿麻和利の策により王府軍の攻略を受け、自刃し果てたという(護佐丸・阿麻和利の変)。

『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)