明朝が、遠人を懐柔する国策に基づいて設置したもので、初め泉州に市舶司が置かれ「来遠駅」と呼ばれたが、1469年、福州に移され名前も「柔遠駅」と改められた。福州琉球館と呼ばれ、琉球の中国への窓口であった。廃藩置県まであった。
柔遠駅 (じゅうえんえき)
この記事を書いた人
琉球新報社
明朝が、遠人を懐柔する国策に基づいて設置したもので、初め泉州に市舶司が置かれ「来遠駅」と呼ばれたが、1469年、福州に移され名前も「柔遠駅」と改められた。福州琉球館と呼ばれ、琉球の中国への窓口であった。廃藩置県まであった。