住民虐殺 (じゅうみんぎゃくさつ)


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 沖縄戦で起きた自国軍隊による自国民殺害。沖縄守備軍の第32軍は1944(昭和19)年3月に創設された。陣地や飛行場の設営には多くの住民が協力、一部の地域では軍民雑居ともなった。米軍が上陸すると守備軍は、これらはすべてマイナス要因と考える。沖縄住民が話す言葉も理解できず、方言を使う者はスパイとみなす通達もまじめに出された。軍隊の本質と沖縄県民への無理解が数多くの虐殺事件にあらわれている。虐殺の態様は、(1)スパイ視・容疑(2)食糧提供をしぶった(3)壕の提供をしぶった(4)壕内で乳幼児が泣き叫んだ(5)米軍の投降ビラを所持(6)米軍に協力し投降を呼び掛けた、などさまざま。久米島では6月26日から8月18日までの間、海軍守備隊によって一家全員殺害を含み20人が虐殺される事件があった。慶良間諸島や沖縄本島各地で起きた住民の集団自決も軍隊による住民虐殺と、とらえられる。

『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)