疎開・学童疎開 (そかい・がくどうそかい)


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 第2次世界大戦中の沖縄で、1944年7月から45年3月にかけ約8万人が戦火を避けてより安全な九州各県に分散避難した。44年7月7日の緊急閣議で南西諸島の老幼婦女子と学童の集団疎開が決定。沖縄県には本土8万人、台湾2万人―計10万人の疎開命令が出た。同年8月22日の学童疎開船「対馬丸」遭難事件は疎開への出足を鈍らせたが、10.10空襲以後、疎開気運は高まり疎開船数187隻。疎開者の引き揚げは46年8月から始まった。

『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)