北山 (ほくざん)


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 三山分立時代、北山(山北)王が治めていた恩納、金武以北の北部地域。北山王の居城は今帰仁城で、王統は今帰仁按司が何代か続いた後、怕尼芝按司(羽地)→ミン按司(保栄茂)→攀安知(安知は按司の意か)と替わり、攀安知の時、中山尚巴志に滅ぼされた(1416年)。1383年、怕尼芝の時に初めて明に進貢している。討伐後、尚巴志は〈北山監守〉を置いて、旧北山を支配させた。北山監守の制は1665年に廃止された。(ミンは王ヘンに民)

『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)