【写真特集・動画】かつてはドライブスルーも! 琉銀、米統治期に建設の本店 建て替え前に施設を公開 


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2021年1月から解体工事が始まる琉球銀行本店。復帰前からほとんど外観を変えず、久茂地の象徴的な建物の一つだった=14日、那覇市久茂地

 那覇市久茂地の琉球銀行本店の建て替え工事が始まるのに伴い、同行は12月から本店や本部機能を同市東町の「那覇ポートビル」に一時移転する。

 21年1月にも取り壊しが始まる現本店は1966年、日本復帰前の米軍統治期に建てられ、当時の先進技術が詰まった歴史的な建造物だった。

 50年以上にわたって久茂地の代表的な建物の一つだった現本店が姿を消すのを前に、琉球銀行は14日、現本店の内覧会を開いた。その様子を写真を交えて紹介する。

完成当初の琉球銀行本店(琉球銀行提供)

 琉球銀行は戦後間もない48年5月1日、米国軍政府布令に基づいて設立された。商業銀行としての機能のほか、中央銀行的な役割も担っていた。

創業時は、沖縄戦で焼失を免れた日本勧業銀行那覇支店と隣接する鹿児島興業銀行那覇支店の建物を改修し、現在の東町で営業していた。

琉銀現本店の地下にある米モスラー社製のメイン金庫。本店落成当時から現金や重要書類などが保管され、扉の重量は約800キロ、厚さ30センチある=14日、那覇市久茂地の琉球銀行本店

 琉球銀行の社史によると、63年にキャラウェイ高等弁務官の命による総合経営診断があった。その際の勧告で「現在380人の職員が収容能力180人の建物内で勤務しており、本店業務運営上、新しい建物が必要」と明記され、移転が決定した。米国陸軍沖縄工兵隊(DE)の管理の下、米国の設計事務所が設計し、県内建設会社によって施工された。

 県内の民間建築物では初めて、鋼線に引っ張る力を加えて床を固定する「プレストレスト工法」が採用され、柱や梁(はり)のない大きな空間を使えるようになった。

 先進技術だったエアシューターや、現金自動預払機(ATM)がまだ登場していない時代に車で横付けしてお金を下ろせる「ドライブインバンキング」の機能も備え付けられていた。

当時の先進技術「エアシューター」(琉球銀行提供)
当時の先進技術である「ドライブ・イン・バンキング」車を横付けした客はマイクを通して行員と会話し、現金を受け取っていた(琉球銀行提供)
琉球銀行の側面に今も残る「ドライブ・バン・キング」の窓口跡

 移転当初は地下1階、地上3階建てだったが、69年に5階建てに増築。落成から50年余りが経過したが、建物の外観などはほとんど変わらずに当時からの姿を残している。

琉球銀行本店3階の応接室。特徴的なアーチ状の窓と天井

 沖縄の建築史に詳しい琉球大工学部の金城春野助教は「民間の建物だが、DEが管理し、米国の設計事務所が設計したことで、当時最先端の技術が導入された。米国と技術の先進度でギャップがある中、県内の建設会社が挑戦して築き上げてきた痕跡を見ることができる建物だ」と語った。

 琉銀は12月14日、移転先の那覇ポートビルで本店機能や本部機能の営業を本格的に開始する。現在の本店跡地は後背地と一体的に開発し、敷地面積4776平方メートル、地上13階、地下1階の新本店ビルを建設する。

琉球銀行本店移転先の那覇ポートビル

 新本店ビルは21年12月の着工、25年の完成を目指しており、銀行のほか三菱地所グループが運営する「ロイヤルパークホテルズ」も入居する。