復興へ寄り添う心 人々つなぐエイサー 宮城県石巻 沖縄出身軸に定着 東日本大震災きょう8年


この記事を書いた人 大森 茂夫
「イチャリバチョーデー」のかけ声を上げる、エイサー石巻のメンバー。後列右端が嘉陽愛華さん=2月26日、宮城県石巻市立万石浦小学校

 沖縄の伝統芸能が東日本大震災の被災地を盛り上げている。今帰仁村湧川の東恩納寛武さん(32)は、津波による犠牲者が最も多く「最大の被災地」とも呼ばれた宮城県石巻市で2013年に「エイサー石巻」を立ち上げた。約7年の生活を経て東恩納さんは昨年帰沖したが、その後も若手メンバーが増え地域に定着している。17年4月に石巻に移住した嘉陽愛華さん(22)は、東恩納さんと同じ湧川青年会でエイサーに親しんでおり、石巻で中心的な役割を担っている。

 「寒いので、まずは通しでやりましょう」。2月26日夜、児童が帰りひっそりとした石巻市立万石浦小学校の体育館で、千葉翔輝会長(22)の声が響いた。地謡三線に合わせ、20人以上が大太鼓、締太鼓、手踊りとそれぞれ舞い始めた。

 震災直後から石巻に入り、ボランティアをしていた東恩納さんは「エイサーで元気にしたい」と感じていた。ボランティア仲間だった瀬川恵氏さん(32)に相談し、団体を立ち上げた。踊りは湧川青年会の型を踏襲。両団体は沖縄と宮城を行き来し、共演するなどして交流を深めている。

 湧川での演舞で、嘉陽さんはエイサー石巻を知る。「正直、最初は動きが少しぎこちないなと思った」と話すが、メンバーの熱意と人柄にひかれていった。石巻に通うようになり、移住を決意した。

 メンバーの家族に沿岸部を案内してもらった時のことだ。「この場所で知り合いが流された。助けることができなかった」「今は何もないけど、前はこんな建物があった」―。涙が止まらなかった。「石巻に来て、家族がいることや日常の生活に感謝できるようになった」と話す。

 メンバーは現在、2歳から40代まで約40人に上る。南城市出身の後藤利恵さん(33)=旧姓大城=も家族5人で参加する。

 昨年4月には東恩納さんの後を継いで地元出身の千葉さんが2代目会長となり、世代交代も進みつつある。

 東恩納さんは「エイサーだけでなく、お互いの地域がつながれていることが一番うれしい。このつながりをいつまでも大切にしたい」と目を細める。交流は、これからも続く。
 (前森智香子)