ワシントンDCのマッカーサー通りを一路北西へ。目指すは、この付近で評判の予約制日本料理店「まこと」。半地下の玄関から、のれんをくぐると両脇には10席ほどのカウンターとテーブルが並び、こぢんまりしたたたずまいである。店全体が、木のぬくもりと流れてくるジャズの調べで独特な風情に包まれている。壁には、光と陰の詩人といわれた大嶺政寛氏が描いたとみられる赤瓦家の風景画がただ一つ飾られている。その絵は、店に調和し、なかなかいい雰囲気を醸し出している。
16年前にその風景画をがらくた市のようなアンティークの店で手に入れた、料理人でありオーナーの伊藤嘉昭さんは、「何か引きつけられるものがあった」と話す。
その絵の裏を見てさらに驚いた。そこには、「琉球列島高等弁務官 ポール・W・キャラウェイ殿 那覇市長 西銘順治、1963年12月25日」と書かれてあった。1961年から64年まで在任した第三代高等弁務官ポール・キャラウェイ中将は、「沖縄の自治は、神話である」とスピーチしたことで知られ、政界、金融機関などに介入し、「キャラウェイ旋風」を巻き起こした沖縄の帝王といわれた人物だ。
西銘市長からクリスマスプレゼントに贈られたとみられるその絵は、はるか太平洋の海を渡ってきたようだ。しかし、それは、がらくた店で無造作に取り扱われていた。明るい空の青、赤い瓦の色、道の白さ、そして木々の緑が変色しくすんで見える。
メリーランド州で静かな晩年を送ったといわれているキャラウェイ氏。彼の人生にとっての3年6カ月の沖縄での歳月は、どのようなものだったのだろうか。その絵がキャラウェイ氏の心情を語っている気がした。
(鈴木多美子通信員)
【アメリカ】海越え40年余ひっそり安住の地 大嶺政寛の風景画
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