まんがで伝える沖縄戦 運命を分けた「ガマ」(前編)


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続きは後編
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R1…疎開

戦場となる恐れのある地域から子どもや女性、お年寄りを立ち退かせること。沖縄では1944年夏、児童の九州疎開が始まった。沖縄本島の中南部に住む住民の北部疎開、宮古、八重山の住民の台湾疎開もあった。疎開先では、飢えやマラリアという病気で亡くなる人もいた。

R2…艦砲射撃

1945年3月末、米軍は沖縄本島や周辺の島々に対し、艦船から大量の砲弾を打ち込み、地上にある建物を破壊した。地形が変わるほどの激しさから「艦砲ヌ食ェ残サー」という言葉が生まれた。生き残った者は艦砲射撃の「食べ残し」という意味。

R3…壕

空襲や艦砲射撃、日本軍と米軍の激しい戦闘から逃れ、沖縄の住民は壕に避難した。人の力で掘った防空壕、「ガマ」と呼ばれる自然壕(洞窟)に身を潜め、戦闘が収まるのを待った。お墓の中に避難した住民もいた。