まんがで伝える沖縄戦 運命を分けた「ガマ」(後編)


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戦争が激しくなった1945年4月1日、知花治雄さんたちが隠れていたシムクガマにとうとう米兵が現れました。

(前編)はこちら
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R1…海外移民

経済的に貧しく、食料も不足していた沖縄では多くの県民が北米や南米、ハワイ、南洋の島々に移住した。移住地から送られたお金が貧しい沖縄を救った。戦後は、地上戦で焼け野原になった故郷の復興を支えるため救援物資を送った。

R2…米軍本島上陸

1945年3月末、座間味や渡嘉敷の島々に上陸した米軍は4月1日午前、現在の北谷町から読谷村にかけての海岸から上陸を始めた。艦船や上陸用舟艇が水平線を埋め尽くし、住民はガマや墓、山の奥に避難した。日米両軍の激しい地上戦は6月末まで続いた。

R3…「集団自決」(強制集団死)

米軍が上陸した座間味や渡嘉敷の島々、沖縄本島で住民が自ら命を絶つ「集団自決」(強制集団死)が起きた。日本軍から住民に対し自決命令や自決の強要があったとされるが、さまざまな議論がある。日本軍は兵士が敵の捕虜となることを禁じており、その考えを住民にも押しつけた。住民が米軍に捕まると無残に殺されるという話も広がっていた。迫り来る米軍を前に住民は自ら死を選ばざるをえない状況に追い込まれた。