コザが生んだクセ者中のクセ者 玉那覇優(3)

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気付けば「コザ」


「コザの人たちはすごくフットワークが軽い」と玉那覇優さん。にぎやかなPOGOTOWNの店内で。

―POGOTOWNの立地場所や、ODDLANDの開催場所、バンドの主な活動拠点など、それぞれコザということもあり、優さんと言えばコザ、というイメージがありますけど、地元にこだわって活動をしているんですか?

 全くそんなことはなくて、家がコザにあるってことだけでコザ中心で活動しています(笑)。始まりはチャンネルシックスのメンバーでSIXというBARをコザで始めたことから、メンバーが新しく別のお店を開いたり、他の周りの友達もどんどんコザで店を開いたり、引っ越してきたりして自然と皆集まっちゃったんですよ。

 今までだったら、買い物やライブに行く時って、どうしても那覇に行く事が多かったんだけど、気づいたらコザで何でもできる環境になっちゃったっていう感じですね(笑)

 コザの人たちって、フットワークがすごい軽いなって思うんですよ。那覇の人たちはコザまで「遠い」と言って、なかなか足を運んでくれなかったりするんです。僕らからしたら、全く那覇までの距離を遠く感じたことはなくて。そこで僕らがコザで面白いこと仕掛けていって、お互いの距離感を近づけてやろう。そうしたらもっと面白くなるだろうなって思っています。

 特に地元だからといって意気込んでやっている意識は全くないんですけどね(笑)。
 

反原発デモから、「他人事」の現状ではなく


一つ一つがオブジェのようなPOGOTOWN

―なるほど。そこでその活動の集大成的な意味につながると思うのですが、ODDLANDについてお聞きしたくて。そもそもなぜ始めようと思ったんですか?

 これも、少し前まで話をさかのぼらないといけないんですが。キッカケは2011年に沖縄で開催した原発反対デモがきっかけなんです。

 東日本大震災以前は、デモって今より一般的に浸透してなかったと思うんですけど、震災のずっと前から東京・高円寺でデモ活動をしている「素人の乱」っていう集団がいまして。「家賃タダにしろデモ」とか「放置自転車撤去するなデモ」とか、とにかく自分たちが音楽を流して騒ぎたいがために、何かと理由をつけてデモをする愛すべきバカたち(笑)。

 震災後、原発事故が起こってから、彼らが主体となって世界各地で同時多発的に反原発デモを行う事になって、彼らから、沖縄を担当してくれという頼みがあって引き受けたんです。

 僕が引き受けるに至った経緯として、原発と関わりが薄い沖縄ではあるけど「他人事」である現状を少しでも意識付けできないかなと思ったからというのがあります。

 21歳の頃、ヒッチハイクで全国を旅していた時に、東北で原発関係者の人の車に乗せてもらったことがあって。その時に、車内で原発を抱える地域の現状というのを話してくれました。その人は原発を建設するために、地元の方々と直接交渉する仕事をしていて。その人に「原発は安全なんですよ」と何度も言われたんですけど、当時僕はその言葉が全然腑に落ちなくて、「なんで絶対安全って言えるんだろう」っていうのが本音だったんです。

 でも、その時はそこまで知識もなくて、やっぱり「他人事」で終わっていた自分がいたんです。そこから震災があって福島第一原発の事故が起きてしまうんですけど。

 原発問題はものすごく複雑な問題で、反対する人も多い一方で、当時情報も少なく、被害状況もあまり分からない。「原発は必要。原発がないと電気が使えない!」と声をあげる人もいて。
 

思考停止は絶対良くない


おとぎの国のような店前。

 そういう背景もあって、沖縄と原発って馴染みが薄いし、そもそも何が正しく何が間違っているのかも日本中がみんなわからない。でも、絶対に思考停止は良くない。より一人一人が問題意識を持つためにはどうしたらいいんだろうって考えた結果、「賛成・反対」というのはいったん置いておいて、「無関心な人たちに、ちょっとでも意識づける」っていう事に絞ってデモを行う事に決めました。

 名前も、「放射能をばらまいたのは俺たちのせいなんじゃないか集会」と名付けて。そういう引っかかるタイトルをつけたら、世の中の多くの問題に見て見ぬふりしてきた人たちも少しは考えてくれるきっかけになるんじゃないかと思って。
 

野外で音を流すのって気持ちいい

 だけど、非常に不謹慎で怒られそうですけど、その時に「野外で大きな音で音楽を流すのって気持ちいい!」って思ってしまったんです。そこで味をしめてしまった僕は、自分で発電機や音響機材を買って、いつでも野外で音を鳴らせる準備をしていました(笑)。

 ある日、バンドのメンバーが結婚を機にアメリカへ引っ越すことになって、そこでラストライブを兼ねてとある公園でライブをしたんです。その時は許可なんか取っていなかったんですけど、苦情もなくて公園に遊びに来ていた地域の人も面白がっていて、それがものすごく楽しくて、そこでまたさらに味をしめてしまったんです(笑)。その時に、もっと堂々とやりたいなという気持ちが芽生えてきました。


コザ運動公園で行われたODDLANDのステージの様子

 当時僕は、年間4~5本ほどライブハウスでイベントを主催していて、1年を通して常に企画に頭をひねっていました。ある時、「特にお金が入ってくるわけでもないのに、なんでこんなにもひっきりなしにイベントばかりやっているんだろう」って思い始めて、自分のことに時間も使えないなって思い始めたんです。

 でも、イベントを行う中で、かっこいい表現者や、もっといろんな人に見てほしいバンドなど、たくさんのつながりができました。

 そこで、「それならいっそのことイベントを一つにまとめて皆を一斉に呼んでしまったほうがいいんじゃないか!」っていう事を思い付いて、念願だった大々的に野外で行うイベント「ODDLAND」の決行に至りました。もちろん、他にもたくさんの想いや目的意識なども複合的に絡み合いながら、いろんなことがつながりつながってあのイベントは生まれました。
 








第1回第2回はこちらから。

続きはこちらから。

 


玉那覇 優(たまなは・ゆう)  1986年2月生まれ。沖縄市嘉間良出身。西原小→コザ小→高市小(愛媛)→越来中→美里高→IDA卒業。2014年6月にPOGOTOWNオープン。実行委員会代表を務めたODDLANDは2015年4月にコザ運動公園を会場に初開催された無料野外音楽フェスティバルで16年も開催。「5つのエリアで約100組の出演者を集めた無料の野外音楽フェスティバルを開催したい」という思いから始まった。イベントテーマはAnybody Could(But Nobody Did)誰もができる しかし誰もやっていない。

 


聞き手・野添侑麻(のぞえ・ゆうま)  音楽と湯の町別府と川崎フロンターレを愛する92年生。18歳からロックフェス企画制作を始め、今は沖縄にて音楽と関わる日々。大好きなカルチャーを作っている人たちを発信できるきっかけになれるよう日々模索中。沖縄市比屋根出身。

 



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