「少年院を日本一の学校にする」 武藤杜夫(4)


「少年院を日本一の学校にする」 武藤杜夫(4)
この記事を書いた人 佐藤 ひろこ

「一流になれ」

 ―ことし6月、浦添市で開かれた武藤さんの講演会「なぜ少年院で人生が変わるのか」を拝聴しました。「少年院に来る少年たちには、一流になる素質、大物になる条件がそろっている」という言葉が胸に刺さりました。

 「少年院はダメ人間の集まりだと思っている人が少なくありませんが、大きな誤解ですよ。彼らと一緒に生活して、落ち着いた環境の下で一人一人と向き合ってみると、初めて見えてくるものがあります。彼らには、同世代の若者にはない個性的な発想力、思いついたことをすぐ行動に移す実行力、叱られてもののしられても絶対に後戻りしない継続力を持ち合わせている。非行少年特有のこれらの性質が、全て大物になるための条件であることはご存知のとおりです。実際、僕の周囲には、社会的に大活躍している元不良少年がたくさんいる。どん底を味わってはい上がってきた彼らは、とにかく勝負強い。何より、もがいている人間の気持ちが分かる素晴らしいやつばっかりです」

2016年6月に浦添市で開かれた講演会「なぜ、少年院で人生が変わるのか?」の広報用資料のために、友人のカメラマン・金城良孝さんが撮影してくれた1枚

 ―少年院の子たちに、どんなことを伝えているんですか。

 「僕は『悪いことさえしなきゃいい』なんて、せこいことは言いません。『お前には一流になる資質がある。一流になれ。一流になって、お前を笑った大人たちを見返してやれ』と、初めからそう伝えます。そして、その資質を開花させるための教育を日々、子どもたちの魂に打ち込んでいます。僕は、法務教官の仕事って何なのかと、ことあるごとに考えます。そして、悩んだ数だけ見つかった、たくさんの答えの一つが『子どもの可能性を信じる』ということです」

2016年6月に開かれた講演会。「独りぼっちになっちゃいけない。誰かとつながる勇気をもってほしい」と語り掛けた武藤さん(右)=6月26日、浦添市てだこホール

少年院から世界に羽ばたく人材を

 ―102日間の入院生活を終えて職場復帰され、業務外での講演活動や少年院の外での活動など、その取り組みはさらに勢いを増しているように思います。そのエネルギーはどこから湧いてくるんですか?

 「死ななかったから、何かやらないとね(笑)。一度落とした命なら、残りは、これから先の未来を生きる子どもたちのために使いたいなと。僕は大人のくせに夢がいっぱいあって。その一つが、少年院を日本一の学校にすることです。落ちこぼれって言われて後ろ指さされていた子たちが、この国のリーダーと呼ばれる人材に成長して世界に飛び出していく。想像しただけで鳥肌が立ちませんか?」

 「そのためにはまず、大きな志をもった法務教官を集めるところから始めないといけない。少年院の最大の教育資源は、法務教官だからです。ところが、法務教官は、社会的な知名度がすごく低い。それを上げるためには、メディアと連携した広報活動が必要だと僕は考えています。根はシャイな僕が、子どもたちと関わる時間を削ってまで講演依頼、執筆依頼を受けるのも、半分くらいはそんな目的があるからです。まずは僕が立ち上がって、志ある未来の法務教官を集める。そう決意しています」

講演会終了後、列をなす人々と丁寧に向き合っていた武藤さん

苦しんだ人こそ、幸せになれる

 ―どんな人が法務教官に向いているんでしょうか?

 「即答できます。元不良少年が一番向いています。少年院まで行っていれば最高ですね。苦しんでいない人間は絶対に成長しない。つらい思いをしないと、つらい思いをしている人間の気持ちは分からない。『自分のつらい経験が、いつか誰かの支えになるかもしれない』と子どもたちが気付けば、その未来は変わる。だから僕は、少年院でも、見どころのある子には片っ端から声をかけています。『お前、法務教官にならないか』ってね。」 

「非行には365日24時間、休みはない。公務員の勤務時間に合わせた支援ではなく、夜の居場所、夜の支援こそが必要なんです」と語る武藤杜夫さん(写真・金城良孝さん提供)

 ―武藤さんに出会った少年たちは幸せです。法務教官として、大切にしている教育観を教えてください。  

 「『子どもを変えることはできない』。それが十数年間この仕事に携わってきた僕の、飾り気のない実感です。僕が変えてきたものは、僕自身です。誰かがやるだろうと考えてる自分から、『一人立つ自分』に変わる。できない言い訳を探してる自分から、『どうやったらできるのかを考える自分』に変わる。楽しそうなことを探し回ってる自分から、『今、目の前にある課題を楽しめる自分』に変わる。そういった挑戦を続けてきたに過ぎません」

 「ところが、面白いんです。そんな挑戦を続けているうちに、僕の背中を眺めていた子たちの何人かが、『自分も何かやってみたい』と勝手に立ち上がって、自分なりの挑戦を始めるようになったんです。初めは小さなことでした。馬鹿でかい声であいさつをするとか、給食は米一粒も残さないとか、素手でトイレを掃除するとか、そんな他愛もないことです。けど、そんな小さな挑戦で自信をつけた彼らが、少しずつ大きな挑戦を始めるようになりました。ある人は、その姿を『更生』と表現します。たぶん、その程度のことです。僕が彼らを変えているわけじゃありません」

誰かとつながる勇気を持って

 ―悩みを抱え、孤独感にさいなまれ、夢を見ることさえできない少年少女が沖縄にもたくさんいます。明日への一歩を踏み出すため、どうしたらいいでしょうか。

  「僕は、尊敬できる方と出会ったとき『なぜ、あなたの人生は変わったんですか』と質問することにしています。そうすると、面白いほど同じ答えが返ってくる。『○○さんと出会ったからです』と。僕もそうでした。僕をどん底に突き落したのも、そこから引っ張り上げてくれたのも、全部人だった」

 「出会いを大切にしてほしい。そして、どんなに辛いことがあっても独りぼっちになっちゃいけない。誰かとつながる勇気をもってください」

アジアの子どもたちのために学校をつくろうと、武藤杜夫さんが呼び掛け、毎月1回の活動を続けている「かふぇでゆいまーる」。この場でも、たくさんの出会いとつながりが生まれている

「かふぇ で ゆいまーる」の活動を紹介した記事はこちらから(2016年6月7日琉球新報掲載)

(聞き手・佐藤ひろこ)

(おわり)

 

(2016年8月30日付琉球新報紙面でも、武藤杜夫さんを紹介しています)

「少年院を日本一の学校にする」(1)はこちら

「少年院を日本一の学校にする」(2)はこちら

「少年院を日本一の学校にする(3)はこちら

 

「子と向き合う覚悟新た 沖縄少年院法務教官の武藤杜夫さん」はこちら

【プロフィル】
武藤杜夫(むとう・もりお) 法務省沖縄少年院法務教官。1977年9月6日、東京都生まれ。中学生時代から非行が始まり、問題行動が深刻化。ボクシングジムに入り浸り、学校をボイコットしていたため、成績は3年間オール1。「落ちこぼれ」の烙印を押される。その後は、ヒッチハイクで全国を放浪するなど放浪児同然の生活を送っていたが、教育者としての使命に目覚めると、一転、独学による猛勉強を開始。一発合格で法務省に採用される。現在は、非行少年の矯正施設である少年院に、法務教官として勤務。元落ちこぼれの個性派教官として絶大な人気を誇り、独自の教育スタイルで多くの少年を更生に導いている。また、公務のかたわら、講演活動、執筆活動などにも精力的に取り組んでおり、その活躍の場は行政の枠を超えて広がっている。