産婦人科医局長・銘苅桂子さんに聞く
琉球大学医学部付属病院産婦人科の医師の7割は女性だ。しかもほとんどが子育て中。高度医療をしていて、緊急対応もある大学病院の第一線で子育て中の女性が働き続けられるのはなぜだろうか。医局長の銘苅桂子医師に聞いた。
玉城江梨子(琉球新報社編集局記者)
3月8日は国連が定める「国際女性デー」。女性への差別撤廃と地位向上を考える日です。性別にとらわれず自分らしく多様な生き方をしている女性を紹介します。
母親であることより医師になることを選んだ
「これまでの医師の働き方はブラック労働そのもの。でもそれがおかしいと医師自身が気付いていなかった。でもこんな働き方では人間らしくいられない」
当直や緊急の呼び出し。前の前にいる患者を救うためには自分の身を削って働く。症例を積むことが医師としての成長にもつながるため、より多く長く働くことは〝勲章〟のように語られることもあるのが医師の世界だ。
銘苅さん自身も「24時間365日仕事」と言える働き方をしてきた。医学部6年の時に第1子を出産。子育ての全てを夫の親に任せ、医師の道を歩み出した。
「産婦人科医になりたい」という銘苅さんの思いを夫の母親が全面的に支えてくれた。朝早く家を出て、帰ってくるのは夜中。子どもの寝顔しか見られなかった。
「私は母親であることより、一人前の医師になることを選んだ」
当時、職場には子育てをしている女性の先輩はいなかった。子育て中の女性医師は当直ができない。子どもが病気になり急に休む。するとその分を誰かがフォローしないといけない。ただでさえ長時間労働の現場。女性たちは居づらくなって現場を立ち去っていた。
育児よりも医師であることを優先させてきた銘苅さんの考え方が変わったのは、3人目の子どもを出産した36歳の頃。自分で仕事のコントロールをできる立場になっていたこともあり、これまで家族に任せっきりだった子育てを初めてやってみた。
「こんなにすばらしいことを私は今までしてこなかったのか」
わが子のいとおしさはもちろんだが、子育ては思い通りに行かない。毎日が想定外の連続だ。それは医療も同じ。手術は想定外が起きることが少なくない。その時に機転を働かせて対応できる力は医師として必要だ。それだけではない。患者への共感、配慮も育児から学んだ。
「人間としての成長があって、医師としての成長があるのではないか。それは女性にも男性にも必要」と考えるようになった。
どうすれば働き続けられる?
離職防止にはハード、ソフト両面の整備が必要だ。2008年に沖縄県医師会に女性医師部会が発足。アンケート調査やシンポジウムなどを通して、女性医師たちの声を可視化している。それらの動きもあり、県内は女性専用の当直室や更衣室、院内保育所、院内病児保育の設置などハード面の整備はだいぶ進んだ。
琉大病院産婦人科ではそれに加え、時短勤務や当直免除などのソフト面の充実も図る。上司も理解もあり、育休明けの医師の配置には配慮してくれている。
それらの整備を進めた上で、何より大事なのは「子育てしながら医師を続けたいという女性医師自身のモチベーション」だと言う。だから、産休に入る前には復職後は何をしたいのか、どんな医師になりたいのかを確認する。そしてそのためには何が必要かを考える。
「女性医師といっても多種多様。私のように家族のサポートがある人もいれば、そうじゃない人もいる。1人1人にあった方法を一緒に考えるようにしている」
「当たり前」を変える
働き続けられる環境づくりは小さな業務改善の積み重ねでもある。
2017年に医局長になった銘苅さんは、これまで誰も当たり前と思っていた「全員朝7時半回診、8時カンファレンス」という毎朝のワークフローを変えた。7時半の回診前には採血をしないといけないため、朝7時には業務がスタートしていた。しかし、子育て中の女性医師がその時間に間に合わせるのは難しい。
それを解決するために、会議の開始時間を8時半にして、そのあと外来がある人は外来へ。外来がない人が回診する―という方式に改めた。
「就業時間は午前8時半から午後5時15分。その時間内で仕事を終わらせるには?と考えたらこの形だった」と話す。決められた時間内で効率的に業務を進めるには、全員で同じ仕事をする必要はない。主治医制ではなくチーム制にしているため、回診もチームの誰かがすればよく、全員がする必要はなかった。
最初からうまくいったわけではない。「患者さんに迷惑がかかるのでは」「手術の開始時間が遅れるのでは」と反対の声もあった。「医師は患者中心に物事を考え、自分の身を削るのが当たり前。その意識を変えるのは難しい。でも、患者さんに迷惑を掛けずに、医師も人間らしくいられる方法があるはず」と力を込める。
後輩たちへ
女性医師の割合が高い産婦人科は、医師不足の象徴的な診療科として語られてきた。「女性が1、2割だったら周囲が無理をしてカバーすれば何とかなってしまうので、変わらなかったでしょう。女性が多かったからこそ、変わらないといけなかった」と話す。この10年で、女性医師に対する周囲の認識もだいぶ変化したと感じる。
「以前は女性はどうせ辞めてしまうので、育てる意味がないとみなされていた。でも今は『女性医師は育てるといい医師になる』という認識に変化してきた」と胸を張る。
銘苅さんが後輩医師たちに「忘れてはいけない」と強調するのは「感謝」。子育てしながら、医師というやりがいのある仕事をできるのは、家族や職場の仲間の理解と支えがあるから。そして「お互いさま」の気持ちを忘れないことが、職場環境を良くし、最終的には自分にも返ってくる。
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