<沖縄お笑い界に革命を起こした男>を追うドキュメンタリー映画『ファニーズ』、山城智二監督にインタビュー


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1993年に旗揚げ、今年10月に30周年を迎える、お笑い団体FEC(フリーエンジョイカンパニー)。創業者の山城達樹(やましろ・たつき)さんは代表者として、また漫才コンビ「ファニーズ」のツッコミ役として活躍中でしたが、旗揚げから約3年後の96年に急逝。26歳の若手人気芸人の突然の訃報は、沖縄県民に衝撃を与えました。「沖縄を笑いの島にする」という目標を掲げていた達樹さんは悲しいほどに短い人生を終えましたが、目標をかなえるための計画や思いを細かく書きつづっていたそうです。

達樹さん亡き後FECを継いだのは、弟であり芸人としても活動していた山城智二(やましろ・ともじ)さん。残された日記やノートをマニュアル代わりに奮闘し、気付けば27年、仲間たちと一緒に突っ走ってきたのではないでしょうか。そしてこの度、兄・達樹さんを主役にした映画を製作。軌跡をたどり関わりのあった人物を訪ねる内に、沖縄お笑い界の歴史と家族の絆が見えてくるすてきなドキュメンタリー作品が仕上がったようです。達樹さんが目指していた「笑いの島に近付いているのでは!?」と思いながら、本作を鑑賞したいものです。また智二さんは「沖縄のお笑いを本土に届ける」という新たな目標を設定し、クラウドファンディングを実施中。「映画が完成して本当にうれしい!」と笑顔いっぱいの智二さんに、製作秘話と現在の思いを聞いてきました。

聞き手:饒波貴子(フリーライター)
写真提供:FECオフィス

導かれて30周年に上映!?

―映画の完成おめでとうございます! どのくらいの期間をかけて撮影しましたか?

去年の8月に撮影を始めたので、1年かかりました。撮影と編集の同時進行でしたが「あれ足りない、これも足りない」の繰り返し。台本通りに撮影して映像をつなぐ通常の映画より、進めながら構想が変わるドキュメンタリーの方が完成までに時間がかかるらしいです。撮った映像が膨大になり、大変な編集作業だとやりながら初めて知りました(笑)。

―長編初監督、そしてお兄さんを主役にFECの歴史を描くということでダブルですごいですね。

ありがたかったです。身近な題材なので、気持ちが途切れることなくどうにか完成させることができました。他のテーマだったらやばかったかもしれない(笑)。でもどうしていいのか途中で分からなくなり、岸本司監督はじめいろんな方にアドバイスをいただきました。「映画の主題は何ですか?」と問いただされると回り道をしていると気付き、軸を戻すことができました。90年代にファニーズは「じゃか2 ALIVE」という沖縄テレビのバラエティー番組の司会でしたが、担当ディレクターだった山里孫存(やまざと・まごあり)さんが、今回製作に協力してくださいました。貴重な映像をたくさんお借りすることもできたんですよ。

―沖縄お笑い界の歴史も分かる、過去になかった映画ですね。FEC旗揚げ30周年に合わせて製作したのでしょうか?

違うんですよ。導かれるように、30周年の節目に公開できることになりました。「達樹のことは、いつかどんな形でも残さないとダメだよ」と山里さんに前々から言われていて、それを聞いていた映画関係者の方が覚えてくださっていたんです。去年の冬「達樹の作品を監督として撮ってくれませんか」と打診をいただき、心からありがたく「ぜひさせてください」と返事をしました。そこから始まり、クランクインして約一年後に公開予定になったので、30周年にあたると気付きました。フワッと進めてきましたが、目に見えない何かが引き寄せてくれたタイミングでしょうね。仕事で関わっていた方たち、近所だったり学校が同じだった方たち、みなさんが達樹を覚えてくださっていると実感し感謝しています。

―達樹さんは日記やノートを残していたそうですが、詳しく教えてください。

「芸人とは職業ではない、生き方だ」とか「まずはやること、そして続けること」など、映画のチラシに書いたフレーズは、達樹が日記や手帳に書き残した言葉を元にしています。他にも事務所運営のことやイベント開催についてなど、方法や計画がリアルに書きつづられていました。急に亡くなったのでどうしたらいいのか分からなかったのですが、最初の10年位は残されたものを読みながら実践し、時代に合わせてアレンジを加えていった感じです。将来に向けた構想もいくつか書かれていて、一番すごいと思ったのは、「ノストラダムスの大予言」という1999年の人類滅亡説を唱える世界的な予言に対して、独自の計画を考えていたこと。96年に亡くなった達樹が、「その時みんなは何をしているのか!? 大予言の日に合わせて沖縄で一番大きなイベントを開催したい」などとつづっていました。

―すごいですね! 具体的なことをはじめ挑戦したいことなど、細かに書き記していたんですね。寝る時間も惜しんで書いていたのでは!? と思えますね。

どうなんでしょう!? 普段一緒に事務所にいたはずなんですけど、僕はただ舞台やテレビに出たい、ラジオでしゃべりたいなど芸人活動のことしか頭になくて、他は見えていませんでした(笑)。沖縄県のアクションプログラムを新聞記事で見つけた時は、それなら僕らはこういうアクションを提言しようという計画も書かれていました。外に出る時は漫才コンビ「ファニーズ」の顔、事務所に戻った途端に裏方の顔になり、ずっと机に向かっていました。いろいろ考えて文字で残していたんだな・・・と思い返します。

―パソコンもあまり普及していない時代ですから手書きですし、データが消えるなどなくて良かったです。宝物を残してくださったのですね。

本当に宝物です。データだったら残っていなかったかもしれませんね(笑)。

「漫才」と「沖縄」にこだわったFECの軌跡

―映画はどのような展開で進んでいきますか?

セルフ・ドキュメンタリーのような形で、弟の僕が亡くなった兄の達樹を訪ねる物語です。ドラマ仕立てで考えると、兄をたどることで沖縄のお笑いの歴史も見えてきたという流れになりますね。達樹が沖縄大学を卒業してすぐの1993年4月、事務所を設立しました。それはファニーズのマネジメントのための「FECオフィス」で、大学在学中から仕事をいただいていたので、卒業後は本格的にプロ活動を始めようということで立ち上げたんです。そして沖縄でお笑いというジャンルを根付かせることを目標にしていた達樹は、同年10月に「演芸集団フリーエンジョイカンパニー」という団体を旗揚げします。純粋にお笑いが好きなヤツが集まってくる団体にして、技を磨いてプロとして続ける決意ができたら「FECオフィス」と契約するシステムを作りました。そうやってお笑いというジャンルのスタートを切り、芸人を発掘する「フレッシュお笑い選手権大会」というたくさんの人に参加してもらえる場を作り、沖縄全体にお笑いを広げていきました。

―そのような仕組みは、どうやってイメージできたのでしょうか!? 今ならネット検索などで情報を拾えますが、当時は難しかったと思えます。経営センスや展望も素晴らしいですね。

何かあったと思いますが不思議です。同じ環境で育ったはずの2歳年上の兄は、自分とは全く違うんですよ。子どもの時から物ごとの骨組みやフォーマットを抜き取って、自分流に落とし込むのが得意でしたね。例えば『ザ・ベストテン』という人気歌番組のパロディー『沖縄ベストテン』を作って、カセットテープに録音していました。達樹が司会者になって曲紹介をすると、相方の渡久地政作(とぐち・せいさく)が紹介コメントに合わせてアドリブで歌って10位から1位まで録音するんです。それを学校でみんなに聞かせて笑う・・・というような感じで、僕も一緒に遊んでいました。ドラマ『太陽にほえろ!』のパロディーなんかもやっていましたし、そんな中高時代でした。

―即興でそういう遊びができるのは、才能があり想像力が豊かですね。

面白いと思うフォーマットを抜き取り、自分たち流に落とし込むことが達樹は得意でした。政作もノリがいいからすぐにやり始める。組むべくしてコンビになった2人だと思えます。また組織の構造も見えたし、システムなどを抜き取るのが上手だったと思います。大阪に行き吉本興業さんを取材した経験もあり、FEC設立の参考にしたはずです。簡単にできることではないので、特別だったんでしょうね。学生時代は陸上部で県記録を作っていました。

―スポーツマンでもあったんですね。成績も優秀でしたか?

そんなに勉強している様子はなく、優秀と言えるほどではなかったです。でも多分地頭は良く、興味があることに生かしただろうと思っています。学生時代は陸上一筋で実業団のある会社に就職するビジョンを描いていたと思いますが、大学生の時にけがで走れなくなり、完全にお笑いにシフトしていきました。笑築過激団さんが大人気でコントを主体にしていた時代。同じことをやってもダメだと思い、当時勢いのあったダウンタウンさんをテレビで見て「FECは漫才をメインにしよう」という作戦を立てていました。「言葉や題材は沖縄のこと」とルールも決め呼び掛けていたんですよ。

―そういう流れも、映画に盛り込んでいますか?

山城達樹が残した功績を丁寧に追いかけています。ファニーズを最初に起用したメディア、エフエム沖縄のディレクターさんにも話を聞きました。人気番組『ポップンロール・ステーション』終了後、突然知らないニーニーター(お兄さんたち)がしゃべり出すことをやっていたんですよ。月曜から金曜まで毎日約1分間しゃべるんですが、達樹としてはやろうとしていた漫才的な掛け合いができる、局側は勢いのある二人組が名乗らずに登場するのが面白い、という感じだったようです。ムーブメントを作るというお互いの思惑通り、「しゃべっているの誰!?」とすぐにリスナーさんの話題になりました。そこからRBCでも番組を持ち、OTVは番組出演中だったニーニーズさんが東京に行くタイミングで、後任として「じゃか2 ALIVE」が決まったそうです。時代にハマったのでしょうし、作り手の方たちが新しいことをやっていきたくて声がかかったので、ファニーズは時代に求められていたと思えます。

―みなさん若くてとんがっていた時代でしょうか。カッコいい! 

兄貴やファニーズの姿を追いかけたら、偉人のみなさまにもつながっていきます。そこも自分なりにしっかり紹介したので、沖縄における戦後から現在までのお笑いの一本線を作る映画になったのではないか、と思っています。

沖縄のお笑いを本土へ! クラウドファンディング実施中

―現在の沖縄のお笑いシーンは、達樹さんがきっかけになっている気がします。

今これだけ漫才コンビやトリオが生まれているのは、多分あの時期があったからでしょうね。達樹の生涯を巡って歴史を紐解いていく流れの中、ゆうりきや~は幼なじみで、ひーぷーさんがオリジン・コーポレーションを立ち上げる時にアドバイスをしたらしいなど。関わりがあった方たちに話を聞いて、達樹がどういう存在だったのかと人物像を浮き彫りにしています。若くして亡くなったので奥さんと息子、家族のつながりも描きました。協力いただいた方に感謝しています。

―映画撮影を通して、今まで知らなかった発見はありましたか?

今は当たり前になっていても、当時はすごく斬新だっただろうと感じるものがありました。ファニーズだけとかFECだけという考えで行動していたら、これ程広がっていなかったでしょうね。沖縄にお笑いを根付かせたい、多くの芸人を輩出したい強い思いがあったので、計画やノウハウをオープンにしていろんな人に伝え、それが結果的に土壌作りになったと思っています。

―照屋林賢さん、ガレッジセールほか接点がなさそうな方たちが出演していますね!?

お笑いの歴史に触れる中、大先輩の照屋林助さんのことを伝えたかったので、息子である林賢さんに話を聞こうと思いました。林賢さんはりんけんバンドを結成するなど素晴らしい音楽家ですが、ひょうひょうとした面白さがあって、生き方は芸人だと思える先輩です(笑)。ガレッジセール川田さんは、ものすごいお宝映像が出てきますよ! 他事務所の芸人たちももっと取り上げたかったんですけど、映画が3〜4時間になってしまいそうで泣く泣く諦めました。ちょっとしか紹介しかできなかったので、いつかスピンオフでやるしかないと思っています。

―みんなつながっていて、沖縄お笑い界の歴史も分かる楽しい作品だと期待できます。達樹さんが見てきた風景を描けていますか?

本人の手帳を見ると「お笑いの島にしたい」と考えていましたが、そのころはお笑い的な要素はない状態だったんです。始祖といわれる小那覇舞天さん、その影響を受けた林助さんは個人で突出していて、喜劇を演じる笑築過激団が団体として成立した後、達樹はもっとお笑い専門。本土とは違う、沖縄独特のお笑いをジャンルとして確立させるシーンを思い描いて行動していました。まだ途中過程ですが、目指していたものに向かって少しずつ形になってきていると僕は思っています。でももし生きていたら、もっとスピーディーに成し遂げられていただろうとすごく感じるんです。「沖縄のお笑いは別の形になっていたかもしれないし、生きていたらどうなっていたんだろうと考える」と、インタビューした何人もが話していました。面白い島になり先を行っていただろう、と僕も思っています。でも嘆いてばかりでは仕方ないので、自分ができることをその時々でやろうと決めました。死んだ後に達樹と再会し、報告して怒られながら「このやり方は良くないよ、でもあれは良かった」などいろいろ話ができることを楽しみにしています。

―達樹さんがお元気だったら、ファニーズで漫才を続けていたでしょうか!?

続けていたと思います。達樹がよく言っていた「芸人というのは職業ではない、生き方だ」という言葉があるんですが、両立するために頑張っていたと思います。事務所として稼いで生活することに目を向け、一方で芸人はお金目的ではなく人を喜ばせるのが第一だと切り分られる力もあったはずです。

―才能・行動そして情熱。全てあるなんてすごいことです。

そう思います。でもセーブできないので、身も心も削って早く亡くなったのではないかとすごく感じます。子どものころを思い出すと、決めたことに向かって一直線に進む人だったんですよね。怪我をするとか病気になるなど何かないと、休めないタイプでした。

―現在のFECオフィスは音楽部門があり護得久栄昇先生というスーパースターがいて、「赤瓦焙煎珈琲」を販売するなどユニークな活動を広げています。

独自のことをやらないといけないと葛藤しながら悩む時期を経て、自分なりのアプローチで進んでいこうと思えるようになりました。社名のFECはフリーエンジョイカンパニーの略。自由で楽しく集うという意味ですからアレンジを加えて概念を押し広げ、いろんなことを形にしていきたい気持ちです。

―映画の見どころを挙げるとしたら?

「沖縄のお笑いに革命を起こした男」の短い生涯です。限られた時間で新たなお笑い文化を植え付けましたし、別の軸でいうと弟が兄貴をたどる兄弟話で家族の絆も描けていると思います。

―監督である弟が重要な登場人物で、家族愛感じる感動作品をイメージします。創業時から現在もメイド・イン・ウチナーにこだわるFECですが、本土との笑いの違いはなんでしょうか?

実は映画用にインタビューした方に、「沖縄のお笑いがあるとしたら何ですか?」と聞いたんですよ。そしたら言葉は違っても、みなさん同じようなことを答えています。ぜひ鑑賞して「ここだ!」と感じ取ってください。地続きの沖縄では芸人たちがつながり、同じようにウチナーンチュみんなもつながっていると思っています。お笑いの好みは人それぞれですが、求めているのは多分一緒だな~と感じるんですよ。そういった面もしっかり捉えられたと思っています。

―クラウドファンディングを実施中ですが、どんな内容ですか?

8月24日(木)までやっています。映画は全国上映を目指し調整中ですが、この機会に映画だけではなく芸人も会場に行き、沖縄の生のお笑いを他県の方に見ていただきたくて実施しました。渡航費・宣伝費として使用させていただきます。たくさんの方が応援してくださっていて、ライブ会場の「お気持ち箱」にお金を入れてくださる方もいっぱいいます。大変お世話になりありがたく思っていますが、沖縄のお笑いを県外に届けていきたいので目標までしっかり頑張ります。まだの方はぜひお願いしたいですし2回目の方も受け付け中です(笑)。よろしくお願いします。

クラウドファンディング<「ファニーズ」を全国で上映&お笑いライブをするプロジェクト!>

https://motion-gallery.net/projects/fec-movie

 

―映画「ファニーズ」は9月8日に沖縄で上映開始、そして10月には旗揚げ30周年を迎えます。最後に意気込みをお願いします。

映画は見てもらってこそ価値が出ますので、ぜひ映画館に足を運んでいただきたいです。沖縄で多くの方に鑑賞いただいて話題になることが、県外上映につながります。沖縄のお笑いを県民のみなさんに映画で楽しんでいただき、全国へと届けていきたいです。FEC30周年はこの映画上映を目玉に、10月21~22日に旗揚げ記念ライブ、10月27~29日には「沖縄の産業まつり」出店を予定しています。ライブは盛大に開催し、産業まつりは芸人たちが盛り上げますので、ぜひ遊びに来てください!

◆インフォメーション◆

『ファニーズ』

2023年/日本
監督:山城智二
出演:山城達樹、山城皆人、山城優子、渡久地政作、演芸集団FECの面々ほか
9月8日(金)よりスターシアターズ系で上映
公式サイト https://funnys-movie.info
公式 X(旧Twitter) https://twitter.com/Funnys_movie
 

饒波貴子(のは・たかこ)

那覇市出身・在住のフリーライター。学校卒業後OL生活を続けていたが2005年、子どものころから親しんでいた中華芸能関連の記事執筆の依頼を機に、ライターに転身。週刊レキオ編集室勤務などを経て、現在はエンタメ専門ライターを目指し修行中。ライブで見るお笑い・演劇・音楽の楽しさを、多くの人に紹介したい。