浦添市当山の浦西中学校裏、生い茂った木々のそばに広がる約70坪(231平方メートル)の畑。梅雨入り後は湿気を含んだ森の香りに包まれながら、農薬を使わない畑に植えられたグラスジェムコーンやリーフレタス、豆類が雑草の間で顔を出している。虫も多く、種を取るために育てるニンジンの花に止まるカメムシが、口の中が苦くなるようなにおいを放っていた。
「浦添なのにやんばるみたいな雰囲気でしょ」。専業主婦で自称「変わり者」、知花優子さん(51)が昨秋から始めた農園だ。収穫物は飲食店にも販売するが、ほとんど家族で食べるので農薬は使わない。さまざまな植物を栽培しては失敗するため、家族から「植物の殺し屋」とからかわれるほど失敗するが、消費者である家族が口にするものに妥協はできない。「忙しい日々の中、店舗で安く簡単に手に入れることもできるが、家族が食べるものは自分で丁寧に作りたい」と笑う。
以前は、4人の子を育てる中、花を育てる程度だった。介護していた父をみとった2014年、精神的に参っていた状態からはい上がるため、右も左も分からないまま「畑をやろう」と決めた。
周囲や農業経験者から無謀だと猛反対されたが「生き方も食も、自分で選んでつくりたい」と思い、県の新規就農者研修に参加した。企業が運営するハウスで働いて果樹栽培も学んだが、農薬で手や腕の皮膚が荒れるようになり、退職した。農薬を使わない栽培はその経験からだ。
畑で取れたものは日々の食事の具材になり、余れば保存食にする。さまざまな種類の作物を調理してみるため、家族は「被験者か」とあきれ顔だ。20歳の次女は母親の保存食が苦手だが、「葉野菜はサラダにするとおいしい」と、母の頑張りを少し認めている。
駆け出しの知花さんは、同じく自然栽培を続ける経験者と交流も広めており、得た知識を実践するため新たな畑も探している。自然の恵みを得るには平和な社会が必要だと考え、米軍基地に抗議する住民運動にも参加する。
自然に寄り添う生き方は手間が掛かることも多いが、苦労と思うことはない。「食卓にはその土地に適応した自然のものを並べたい。昔のおばあさんたちは、自分の畑で作ったものを食べていたでしょ。あんな感じでやりたい」と、目を輝かせながら話した。
文・嘉陽拓也
写真・花城太
(2016年5月24日 琉球新報掲載)