中国の厦門(アモイ)市の目と鼻の先に浮かぶ台湾・金門島。最短で2キロほどしか離れておらず、冷戦期には大陸から幾度も砲弾が撃ち込まれ、台湾防衛を象徴する「最前線」となった。1992年、台湾本島に5年遅れて戒厳令(軍事動員体制)が解除された島では、2000年代になって厦門との往来が始まり、中国との結びつきを強めていく。近年は経済投資や、軍事的な遺産を資源にした観光地化が進む。
【金門島写真特集】レトロな街並み、観光地化する軍事施設、マチグヮーみたいな市場…
金門島の面積は約150平方キロ。宮古島と同規模の島に6万人が暮らす。01年に厦門との間で通商、通航、通郵を限定的に認める「小三通」と呼ばれる交流が始まった。
交流の深まりを象徴する一つが、15年に金門にオープンした、当時アジア最大とうたわれた免税店を併設した五つ星ホテルだ。世界的な高級ブランドのほか日本のドラッグストアチェーンも入居し、新型コロナウイルス禍以前は対岸の中国から多くの観光客が訪れ、商品を買い込んだ。
コロナ禍直前の19年の金門の入域観光客数は延べ100万人。中国と、台湾本土とで半分ずつの割合を占めた。コロナ禍で中国からの訪問客は途絶え、22年は56万人に落ち込んだが、免税店のスタッフは「この状況が落ち着けば、また(中国から)大勢が来るはずだ」と待ち望む。「台湾有事」の可能性が盛んに喧伝(けんでん)される中、住民は中国との相互交流の活発化を望んでいる。
(當山幸都)
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2022年12月末、台湾・金門県政府の招待で金門島を訪れた。かつて、中国と台湾が激戦を交わし「最前線」とされた島の今を報告する。
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