prime

取材源秘匿と公益通報 押収して情報源特定 一線を超えた鹿児島県警<山田健太のメディア時評>


取材源秘匿と公益通報 押収して情報源特定 一線を超えた鹿児島県警<山田健太のメディア時評> 札幌市のライターに届いた、鹿児島県警の不祥事を訴える文書の一部
この記事を書いた人 Avatar photo 外部執筆者

 鹿児島県警は報道機関に対し令状をもって強制捜査を行い、取材関連資料を押収した。その後、押収したパソコンに保存されていた内部告発文書をもとに直前まで現職幹部だった警察官を逮捕した。6月になって事態が明らかになり、一部のメディアが報じているものの、大手報道機関の中には黙殺するところもある。

最悪の事態

 事件が起きたのは4月8日、福岡にあるニュースサイト「HUNTER」(ハンター)の事務所に強制捜査が入り、中願寺純則代表の携帯電話や業務に使用していたパソコン等が押収された。その結果、「闇をあばいてください。」と題された、鹿児島県警が隠蔽(いんぺい)した事件を内部告発した文書を県警が入手し、1か月半後に当該告発者が国家公務員法違反(秘密漏洩)容疑で逮捕、起訴される事態となった。まさに、公権力の強制捜査によって取材源(情報源)が明らかになり、内部告発者が逮捕されるという最悪の事態である。

 取材源の秘匿はジャーナリストの最高位の倫理とされており、報道界の横断的団体である日本新聞協会と日本民間放送連盟も、「いかなる犠牲を払っても堅守すべきジャーナリズムの鉄則」とする(2006年声明)。さらに最高裁が、取材源の秘密を職務上知り得た秘密に当たると認め、「取材の自由を確保するために必要なものとして、重要な社会的価値を有する」とした(06年10月3日NHK記者証言拒否事件最高裁判決)。ジャーナリストは、医者、弁護士、宗教人とともに、特別な職責を担っていることが明らかになったわけだ。

被取材者の信頼

 ただしその後も、ジャーナリストが強制捜査を受けたり、取材関係資料が押収されることがなかったわけではない。07年には奈良で起きた少年事件を扱った単行本『僕がパパを殺すことに決めた』をめぐり、掲載された供述調書の出所として鑑定医が逮捕・有罪となったが、同時に作家である草薙厚子も奈良地検の強制捜査を受けた(不起訴処分)。さらに14年にはISイスラム国への参加準備に関与したとして、フリージャーナリストの常岡浩介が刑法の私戦予備陰謀で家宅捜索を受けた(19年に書類送検、不起訴処分)。

 こうした作家やジャーナリストに対する強制捜査自体が、さまざまな取材で知りえた情報を強制的に公権力が入手するものであり、取材の自由を損ねるものであって許されない行為だ。そのうえであえていえば、今回の鹿児島県警は、それが当初から目的であったか否かは別としても、押収資料をもとに情報源を特定したという点で、これまで捜査機関がかろうじて守っていた一線を超えた。

 同じことは取材関連資料の押収という点でもいえる。確かにこれまでも、放送局のテレビフィルムの提出という点で、警察・検察・裁判所の押収令状や提出命令等に従い、放映済みに限らず未編集テープなどの取材資料をやむなく提出してきた歴史がある。未編集の撮影素材であっても報道目的限定の取材の結果であって、目的外使用である捜査資料に利用されることは、被取材・報道者と撮影者・報道機関の信頼関係を大きく損なうものであって許されない。

 それでもなお、それらと取材源が明らかになる取材メモとでは、大きな差があるといわざるを得ない。そうしたことからも、いかに今回の強制捜査とそれに伴う押収が異例なものであったかということであり、同時にそうした令状を発行した司法の判断は誤りであったといわざるを得まい。

正当な内部告発

 もう一つの問題が、内部告発者を守れなかったことだ。この点で警察は一貫して内部告発と認めていないが、そもそも当事者が判断すること自体が誤りだ。04年に制定された公益通報者保護法では、外部通報先として「その者に対し通報対象事実を通報することがその発生又はこれによる被害の拡大を防止するために必要であると認められる者」を規定しており、具体的には報道機関や消費者団体をさすとの解釈が確定している(消費者庁などの解説)。

 それからすると、当該警察官が北海道在住のジャーナリストに告発(情報提供)したことは、法に沿った正当な行為であって、公益通報そのものである。そして受け取ったジャーナリストが情報共有した先が、今回強制捜査を受けたニュースメディア(報道機関)であって、最初の通報先同等であるとみなされる。日本の場合は内部告発を裏切り者視したり、22年に受け皿整備のために法改正がされたにもかかわらず、まったく履行が進んでいないなど、社会全体で公益通報が制度として十分に認知されていない現状がある。

 その残念な反映が、通報先のガサ入れや通報者の炙(あぶ)り出しということになろう。本県南城市の市長ハラスメント疑惑において、責任追及をする議員を議会で懲戒したり、告発者開示を記者に求めるのも同様の意識があるとみられる。

「報道機関」差別

 そのうえで冒頭に触れた、大手メディア扱いの躊躇(ちゅうちょ)ぶりの要因の一つは、ハンターが「報道機関」ではないという理屈だ。実はこうした差別感は行政側にもありそうだ。前述の例でも作家には強制捜査に入っても版元の講談社は捜査を免れたし、05年の中国潜水艦事故の記事に関し、情報源の陸自自衛官は家宅捜査を受けても読売新聞はお咎(とが)めなしだった。

 自分たちは別格で大丈夫との思いが、もし大手メディア側にあるとすれば、それは驕(おご)りであってむしろ知る権利を蔑(ないがし)ろにし、市民との信頼関係を危うくするものだ。民主主義社会全体にとって表現の自由が狭まる可能性がある脅威に対しては、きちんと共闘をする必要がある。ましてや表現の自由の護(まも)り手である報道機関の重要な役割だ。

(専修大学教授・言論法)


 本連載の過去の記事は本紙ウェブサイトや『愚かな風』『見張塔からずっと』(いずれも田畑書店)で読めます。