<金口木舌>県民の苦難なぞる


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 「戦前のゆったりとした時間の流れる首里の景観を鮮明に覚えている。復元に立ち会えることがうれしい」。1989年11月、首里城正殿復元に向けた「首里城木遣(きやり)」に参加した91歳の女性の言葉を本紙が伝えている

▼木遣行列は古謡「クェーナ」を歌って復元をたたえ、平和を祈った。首里城は92年に復元された。首里城公園の開園式で当時の大田昌秀知事は「県民の心のよりどころ」と述べた。県民がさまざまな思いを託してきた首里城が31日、焼失した
▼三山統一から日本政府による琉球併合(「琉球処分」)まで約450年間、琉球の王府だった。併合後は日本軍の拠点とされ、国宝に指定されたものの神社と位置付けられた
▼戦前は改修もままならず、荒廃して取り壊しも議論されたという。そして沖縄戦で徹底的に破壊された。戦後、米国が跡地に琉球大学を設置した。首里城復元は大学移転後の80年代にようやく進んだ
▼近代の同化政策、戦災、戦後の米統治。首里城の歴史は県民の苦しみをなぞるようでもある。近年は成長する沖縄観光の目玉として県経済を支えてきた
▼再び復元されることを願い、支援の声も上がっている。50年に焼失した金閣寺など、貴重な建築物の復元に向けて官民を問わず支援が広がった例は多い。県民が何度も立ち上がったように、鮮やかな朱色の姿が再び見られることを信じている。