<金口木舌>「ひやみかち」の思い


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 「ひやみかち節」を作曲した音楽家の山内盛彬さんは、コラムの中で歌を作った経緯を記している。ハワイで仏教を広げた玉代勢法雲さんが平良信助さんの詩を持って訪ねてきたという

▼「大戦で打ちひしがれた人心を復興するには、この歌を作曲して奮い立たせてはどうか」という玉代勢さんの勧めに山内さんは応えた。「同胞の目をさまそうと決意した」
▼「ひやみかち節」を持ち歌とした歌手の一人に登川誠仁さんがいる。照屋林助さんとの対談で、闘牛場でこの歌が評判だったという逸話を紹介している。牛をけしかける勢子の気合と、歌のはやし「ヒヤヒヤヒヤ」がマッチしたという
▼対談で登川さんは「ひやみかち節は早弾きを競うものではない。ちゃんと譜面で決められているようにやってほしい」と他の歌い手に注文している。歌を作った両人の熱意に報いよということであろう
▼「ひやみかち節」を愛唱する人は多い。親しみのある曲と「七転(くる)び転(くる)で ひやみかち起きて わしたこの沖縄 世間に知らさ」の歌詞が沖縄戦で傷ついた県民の心に響いたのである
▼首里城の焼失でぽっかり開いた心の穴をこの歌で覆いたくなる。そんなとき、作者や歌い手の思いにも触れてみたい。平良さんはこんな歌も詠んだ。「誠一つに進みなば 平和の風もやわやわと やがて黄金の花も咲き 恋し沖縄実がむすぶ」