1964年の東京五輪の際にもパラリンピックが開催されていたことをご存じだろうか。60年ローマに続く第2回大会である。11月に5日間の日程で行われ、55年前のきょうが最終日だった
▼その東京パラでは第2部として障がいのある各県代表による国内大会も開かれた。沖縄から7人が出場。陸上競技での優勝を含め多数入賞の大活躍だった。応援に駆け付けた在京の県人を奮い立たせた
▼あれから55年。朝晩は涼しくなったが昼間は汗ばむ日もある。そんな陽気とは裏腹に、どこかまだ喪失感が残る私たちの心に小春日和のような温かさをもたらすニュースだった
▼ドバイで開催中のパラ陸上世界選手権で上位入賞した上与那原寛和選手が来年の東京パラ代表に内定した。東京五輪・パラ大会の代表入りは県勢として第1号。2種目での代表も期待されている
▼上与那原選手は先月、南城市の船越小で講演した。交通事故の後、競技と出合い、トップ選手になるまでを語った。子どもたちに伝えた「諦めないことの大事さ」でつかんだ4大会連続の切符である
▼「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」。パラリンピックの父・グッドマン博士の言葉だ。ハンディに向き合い、高みを目指す。困難を受け入れ、限界を超えていくパラアスリートの挑戦は、今日を生きる私たちにエールとして響く。