<金口木舌>タイタニックの教訓


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 英客船タイタニック号の氷山への衝突事故は1912年4月14日の深夜のことだった。翌15日未明には沈没した。2200人超の乗客乗員のうち約1500人が命を落とす惨事となった

▼防水を徹底した隔壁構造で設計された不沈船であるとの慢心、搭載された救命ボートの絶対数の不足や避難対応への練度の低さなどさまざまな理由が重なって犠牲者数は膨らんだ。周辺にいた船舶には救難信号の認識不足があったとされる
▼反省は国際条規の整備へと進み、「海上における人命の安全のための国際条約」が採択された。後に日本も含め批准国が広がった。事故から108年後の現在も洋上安全の基本として受け継がれる
▼首里城火災から4月末で半年となる。再建へと向かう中、火災の再発防止の検討も始まった。防災や文化財の専門家らによる委員会が議論を進めていく。2020年度末までに最終報告書をまとめる予定だ
▼発生時、風で多くの火の粉が舞った。首里城公園の近くに住む人に聞くと、火災の鎮圧まで家を離れて避難する間、類焼に気をもんだという。人的被害がなかったことは不幸中の幸いであった
▼防火や覚知、消火のさまざまなシステムが整った現代に私たちは首里城を失った。不沈船の安全神話ではないが、どこに原因があったのか、徹底した議論で教訓を後世に引き継ぐことが必要だ。