<金口木舌>悲喜こもごもの「ハワイやっさー」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 「ハワイやっさー」という表現を教えてくれたのは、うちなー噺家(はなしか)の藤木勇人さんであった。普久原明さんと故登川誠仁さんの掛け合いが楽しい霊園のCMにも出てきた。ご記憶の方も多いだろう

▼感動、喜びの場面で「ハワイやっさー」が登場する。背景に苦難の沖縄移民史があると藤木さんは説く。「懸命にサトウキビを作り、苦労を乗り越えた。そんな歴史が『ハワイ』と言っただけで通じる」
▼ハワイに限らず、北米、南米4カ国、アジア・太平洋の島々に渡った沖縄県人はさまざまな障壁と闘ってきた。成功した人、夢破れた人もいよう。悲喜こもごもの移住地の歩みが「ハワイやっさー」の一言に凝縮している
▼75年前の激しい地上戦で灰じんに帰した故郷を救ったのは移住地の人々であった。県人社会で広がった救済運動である。ハワイから送られた550頭の豚に復興を支えた海外のウチナーンチュの心を見る
▼本土化が進んだ1980年代、海外の県人社会に残る沖縄の肝心(ちむぐくる)に接したことは驚きであった。第1回「世界のウチナーンチュ大会」が開催されて今年で30年。海外のウチナーンチュに県民は励まされ、学んだ
▼来年はウチナーンチュ大会の年である。コロナウイルス禍の中でこれまで通りの大会が開催できるか気がかりだ。県人社会もコロナで悩んでいよう。共に苦難を乗り越えたい。