<金口木舌>首里城再建は歴史学ぶ機会に


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 15年前に八重山支局に赴任したばかりの頃、本島から先に転勤していた警察官に忠告を受けた。「飲み屋では八重山の地酒を注文した方がいい」

▼苦い経験があったようだ。「『琉球王朝』を一本」。彼が飲食店で泡盛を注文すると、店主に「八重山をいじめたのはどこか知らないのか」と問いただされた
▼八重山の首領オヤケアカハチは琉球王府の過酷な徴税に苦しむ農民のため、反旗を翻したとされる八重山の英雄。立像のある石垣市大浜で毎年旧暦3月3日に慰霊祭も催される
▼先島だけではない。15世紀初頭、第一尚王統の尚巴志は三山統一のため、北山王の攀安知(はんあんち)、南山王の他魯毎(たるみい)を滅ぼした。ハーリー発祥の地とされる豊見城を含む南山。大量に中国の陶磁器などが出土する北山。いずれも独自に明国と交易するなどして、国の発展に尽くしてきたはずだが、中山に屈した
▼歴史は勝者がつくるもの。近世の琉球正史「中山世鑑」には2人の王の悪徳ぶりが記録されている。だが、今帰仁城跡や島添大里城跡に足を運ぶと、琉球王国誕生の歴史に埋もれた王たちの無念さが伝わってくる気がする
▼焼失した首里城再建のため50億円を超える寄付が寄せられた。多くの県民が口にする「首里城は県民の心のよりどころ」。再興は外観を元に戻すだけでなく、首里城を取り巻く沖縄の歴史を県民が学び直す機会になる。