<金口木舌>基地と宣撫工作

 1962年の宜野座高校の卒業アルバムに、校庭を重機でならす米兵の写真がある。写真説明は「仕事熱心なアメリカさん」

▼「あの時代ならでは」と振り返るのは同校出身で、元大分県弁護士会会長の岡村正淳さん。野球部を立ち上げるため役所や米軍キャンプ・ハンセンに協力をお願いしたら、米軍は資金援助こそしなかったがグラウンドの整地を買って出たという
▼米国民政府(USCAR)は復帰前、基地の安定的な運用のため学校に楽器やスポーツ用品を寄付したり、運動場のフェンスを整備したりした。米軍が沖縄に駐留し続けるための、あからさまな宣撫工作だった
▼基地との「共存」を強いられた沖縄。「銃剣とブルドーザー」で接収された軍用地を巡る56年の島ぐるみ闘争。95年の少女乱暴事件に抗議する県民総決起大会。沖縄は不合理にあらがい続けた
▼コロナ感染再拡大後も米軍は詳細を説明せず、米兵は基地の街をマスクをせず闊歩(かっぽ)している。これが復帰から半世紀の沖縄。だが、あらがった歴史をしっかり受け継ぎたい。



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