渡嘉敷島での「集団自決」(強制集団死)を証言した金城重明さんが19日、93歳で亡くなった
▼1945年3月、米軍は渡嘉敷島に上陸。北山(にしやま)に集結するよう軍の命令が住民に伝えられた。米軍への投降は許されず、住民は追い詰められた。金城さんと兄は号泣しながら母、妹、弟を手にかけた
▼戦後、苦悩と悲しみで人々は口をつぐんだ。金城さんは心に傷を負いながら家永訴訟でいち早く証言を始め、大江・岩波訴訟でも証言。軍命を削除する歴史修正の動きに対し、軍の強制や関与を広く訴えた
▼金城さんに勇気づけられて語り始めた人もいる。渡嘉敷村の吉川嘉勝さん(83)は2007年の教科書検定撤回の県民大会で初めて証言した。手りゅう弾が爆発せず、母の機転で逃げて助かったが、父親が流れ弾で命を落とした
▼なぜ国は住民に死を強いたのか、母の強い思いはどこから来たのか。吉川さんの講話は10年以上400回を数える。「沖縄戦の語り部として最高の方だった」。金城さんの訃報に悲劇の島から安らかな眠りを祈る。