<金口木舌>ヤマモモの里再び


この記事を書いた人 琉球新報社

 北谷町から沖縄市を結ぶ県道23号は、45年前の5月に開催された特別国体「若夏国体」に向けて敷設された。一部競技の会場となったコザ運動公園に観客らを運ぶ幹線だった。「国体道路」の呼び名も残る

▼当時のコザ市は市木にビロー、市花にハイビスカスを選定。国体に向け、緑化を進めた。市木選定の候補には「ヤマモモ」もあった。市山内から運動公園のある諸見里一帯の「ヤマチ、ムルンジャトゥ」は戦前、楊梅(ようばい)の産地として知られた
▼収穫期は旧暦3月というから、今ごろだろうか。宜野湾の大山や真志喜から仕入れに訪れた娘たちが那覇に運び、ムムウイアングヮー(桃売りの娘)として売り歩いた。地域にとってヤマモモは収入源でもあった
▼開発でその森は失われたが、産地を復活させようという取り組みが始まった。山内自治会の廣山實会長が中心となり、公民館敷地内の大木から種を取り、苗を育て、地域に広げる活動だ
▼廣山さんは「子どもたちが歴史を知り、地域づくりのアイデアを広げてほしい」と希望する。かつては塩漬けにした赤い実が弁当を彩ることもあった。ジャム加工なども模索するという
▼「強く、明るく、新しく」は若夏国体のスローガン。新生沖縄県誕生の喜びが伝わる。45年後の今、歴史に学び、地域の明るい展望を開く、地道だが力強い活動がヤマモモの里に芽吹きつつある。