19年前とは様変わりしていた。宮森小ジェット機墜落事故を取り巻く状況だ。1999年、石川支局長として、遺族らに取材をしたが話を聞けた人はわずかだった。事故から40年を経ても、町全体が口をつぐんでいる印象を受けた
▼上間義盛さん(75)がこの事故で末弟を亡くした経緯を知ったのは、2010年になってからだ。遺族らが語りだし、初めての証言集が発行されたのもこの年だ。事故を語ることができるまで、長い時間を要した
▼加えて99年当時が米軍普天間飛行場の名護市移設計画の浮上時期だったことも無関係ではないだろう。移設への賛否で世論は割れていた。基地を話題にしにくい雰囲気は確かにあった
▼久しぶりに宮森小墜落事故の取材に関わった。遺族らの「基地はなくならないといけない」「沖縄県民が本当に一緒になって反対するのはいつなのか」という言葉に時代の流れを感じた
▼政府は新基地建設を強引に進めるが、新たな基地はいらないというのが大多数の県民の思いだ。米軍による事件や事故が後を絶たないことを理由に、新たな基地建設に反対してきた県民もいる
▼6月23日に行われた沖縄全戦没者追悼式。浦添市立港川中学3年の相良倫子さんは平和の詩の朗読でこう訴えた。「戦力という愚かな力を持つことで、得られる平和など、本当は無いことを」。遺族らの言葉と重なる。