<南風>家に帰る喜び


<南風>家に帰る喜び 宮城雅也、県小児保健協会会長
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 近年医療の進歩で重篤な子どもたちが救命生存できるようになった。1991年、小児重症病室での母親と主治医との会話「人工呼吸中だけど家に帰れないかね」から小児在宅医療の歴史が動いた。

 そのころ成人用携帯式人工呼吸器が発売され、体重が10キログラム以上の子に何とか対応させた。しかし在宅医療の診療報酬制度も、訪問看護も、小児は対象外で支援体制はなかった。当時の携帯式人工呼吸器は約200万円と高額で、自己購入するしかなかった。出生直後から1年半以上も入院して家庭も兄弟も知らず、母親の連れて帰りたい強い気持ちが医療人を動かした。

 両親には看護師並みの医療知識と吸入吸引の技術を習得してもらった。万全を期して最初の外泊を行った。その帰院後、母の「一睡もできなかった」で不安となったが、「でも楽しかった」との一言で皆勇気をもらった。どんな重度の難病の子どもでも家で過ごすことの大切さを痛感した。

 92年、小児在宅人工呼吸療法基金「てぃんさぐの会」の活動が始まり、保護者と医療人が一緒に寄付を募り5台の呼吸器を購入した。日本初の多職種(17職種)による「人工呼吸器を使う子どもたちの在宅支援マニュアル」を作成し在宅移行への体制を築いた。当時制度がない中、多職種が自主的に役割を自覚し連携支援する体制が自然にできあがっていった。現在は人工呼吸器のレンタル制度が確立されたので「てぃんさぐの会」は在宅生活の質を向上する活動を続けている。

 現在本県の在宅医療の子どもたちは全国的に見て多いが、早期に取り組んだ結果、在宅移行への体制があったからだ。「医療的ケア児支援法」が施行された今、行政は現場任せではなく医ケア児・家族・支援者と一緒になり、一般の子ども以上に制限のない生活を送れるようにしてほしい。

(宮城雅也、県小児保健協会会長)