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能登の現状に悔しさ 被災地の声伝えたい インタビュー・東日本大震災13年 作家のいとうせいこうさん


能登の現状に悔しさ 被災地の声伝えたい インタビュー・東日本大震災13年 作家のいとうせいこうさん
この記事を書いた人 アバター画像 共同通信社

 「その声は僕に対してというより、社会に向かって語りかけているようでした」

 東日本大震災の被災地を訪ね歩く活動を続けている作家、クリエーターのいとうせいこうさんが計17人の被災者や支援者らの声を聞き取った「東北モノローグ」(河出書房新社)を刊行した。発生から10年以上を経て語られる言葉は「初めて聞くような、驚く内容ばかりだった」と振り返る。

「被災者の中で起きてしまう分断に対し、どう立ち向かえばいいのかずっと考えている」と話すいとうせいこうさん

 例えば、発生時に小学5年生だった女性は、震災後にクラスが荒れ、「震災に関する話」がタブーになったと述べる。「当時はそんな話を聞くこともできなかったし、聞いたとしても語ってくれなかったでしょう」

 津波被害で「大規模半壊」となった自宅に10年以上住み続けている高齢の男性は、公的な支援金では修理しきれず、壁にはヘドロのカビが残ったまま。自宅があるため仮設住宅にも入れなかったという。「こういう問題が今も残っているということは、今後も起きるということなんです」

 いとうさんは2013年に震災を題材にした小説「想像ラジオ」を刊行。自分が死んだことに気付かないラジオDJが、海沿いにある杉の木の上から「あなたの想像力の中でだけ」聞こえる番組を始める物語は、生者と死者をつなぐ文学的な試みとして反響を呼んだ。

 「いわゆる当事者でない自分が書くことへの罪悪感や悩みみたいなものはずっとある。けれど第三者だからこそ聞ける、書けることがあるだろうと、ようやく気持ちが落ち着いてきました」

 21年には一転、自分の言葉を一切挟まず、福島の人々の声を丹念に聞いた「福島モノローグ」を発表。新刊は取材対象を宮城や岩手、山形などにも広げた続編に当たる。

 NHK仙台放送局のアナウンサーとして、3月11日の夜にラジオ放送を担当した男性は、現場の状況を想像しながら「漆黒の闇に向かって自分は何か言ってる」感覚だったと述懐した。「本当に『想像ラジオ』だったんだなと。小説執筆時は僕も、暗闇に向かって書いている感触でした」

 そして今年の元日、能登半島地震が起きた。被災者の多くが体育館などで、プライバシーの確保されない避難所暮らしを長期にわたり強いられている現状を見て、悔しさがこみ上げたという。

 「『国境なき医師団』に同行し、世界各地の被災地や難民キャンプを見てきたが、こんな非常識な環境は見たことがない。東北の人たちが苦しんだのは何だったのかと怒りが湧きます」

 今後も、日本各地で被災地の声を聞き取る活動を続けたいという。中でも気になるのが、壊滅的な被害には達しなかった地域のことだ。「他の人や場所と比べて自分は大したことないと耐えてしまう人が多い。そんな『顧みられない災害』がいくつもあると思っています。そんな事実を伝えていきたいですね」

突破する「声」の説得力

 ヒップホップなどの音楽や伝統芸能、小説、ルポルタージュに至るまで幅広い分野で活躍するいとうせいこうさん。一見ばらばらのような関心領域だが「意味と形式が詰め込まれた文章を、『声』の説得力で突破してくるもの」に引き込まれるのだという。

 敬愛する石牟礼道子さんが「苦海浄土」などの著作ですくい上げた水俣の声もそうだ。

 一方、自身の境遇や経験、思いだけを頼りに、マイク一本でステージに立つヒップホップのミュージシャンにも同じ視線を注ぐ。

 自身の小説「想像ラジオ」は、想像力によって死者の声を聞くことを主題としたが、「おまえに何が分かる」といった批判も寄せられた。

 「それでも書かずにはいられなかった。ラストシーンで主人公が『エコーたっぷりで』と発言しますが、あれは(仏教用語で死者の成仏を願い供養することを意味する)『回向(えこう)』と掛けていて、鎮魂の思いを精いっぱい込めたつもりです」

 いとう・せいこう 1961年東京都生まれ。著書に「ノーライフキング」「『国境なき医師団』を見に行く」など。日本のラップミュージックの先駆者としても知られる。

(共同通信)