有料

「琉球と奄美の関係上で重要」 与論城跡、沖縄本島外で最大 発掘調査進む 鹿児島


「琉球と奄美の関係上で重要」 与論城跡、沖縄本島外で最大 発掘調査進む 鹿児島 鹿児島県・与論島の「与論城跡」北側の石垣=2019年3月(与論町教育委員会提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 共同通信社

 鹿児島県・与論島の「与論城跡」は面積が約3万平方メートルで、奄美群島以南にある沖縄本島以外のグスク(城)跡で最大規模だったことが23日までに、与論町の発掘調査で分かった。陶磁器などの出土品や建物跡の分析から、14世紀後半~15世紀中ごろが最盛期だったことも判明。町教育委員会は「琉球と奄美の関係を考える上で貴重な遺跡」として、国の史跡指定を目指している。

 与論島は鹿児島県最南端で奄美群島の一つ。沖縄本島から20キロ余りの近さにあり、古くから琉球と交流が深かったとされる。琉球では14~15世紀ごろ、北山、中山、南山の三つの王国が覇権を争っていた。

与論城跡。島南部にある台地を領して築かれている=2021年9月(同町教委提供)
与論城跡。島南部にある台地を領して築かれている=2021年9月(同町教委提供)

 与論城は島南部にある高さ93メートルの台地を利用して築かれ、面積は従来、東西約60メートル、南北約210メートルの1万1千平方メートル程度とされていた。

 町教委が2019~22年度に実施した調査の報告書によると、城跡は東西約150メートルまで広がっていた。石垣に琉球石灰岩を用いたり、盛り土を造成したりするなど、世界文化遺産に登録された沖縄県の城「グスク」と同じ特徴もあった。

 町史などに記載された伝承によると、築城主に関しては二つの説があるが、明確な資料がなく実態は不明。調査を担当した町教委の南勇輔学芸員は「(三山時代の)北山が奄美方面へ進出する足掛かりとして整備した可能性がある」と指摘。保護と活用に努めたいとした。

(共同通信)