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首里城再建で江戸上り再現 川崎沖縄芸能研 県などに要請へ


首里城再建で江戸上り再現 川崎沖縄芸能研 県などに要請へ 川崎市での江戸上りの再現を語る川崎沖縄芸能研究会の名嘉ヨシ子会長
この記事を書いた人 アバター画像 斎藤 学

 【神奈川】首里城正殿の2026年の再建予定に合わせ、川崎沖縄芸能研究会(名嘉ヨシ子会長)で約400年前にあった「江戸上り」を再現、再演させようとの機運が出ている。琉球使節団が江戸城の直前の宿場町としたのが川崎とされ、沖縄芸能が戦前、戦後に集積されたのも川崎だ。再現には最適地とされる街で期待が高まる。

 江戸上りは別名「江戸立ち」ともいわれる。薩摩の琉球侵攻後の1634年から1850年まで18回行われた。幕藩体制に組み込まれた琉球王国が中国との冊封体制を維持する一方、江戸幕府の将軍の代替わりには慶賀使を、琉球国王の代替わりの際には謝恩使を派遣した。

 川崎沖縄芸能研究会は神奈川県をはじめ、関東一帯を含めて広く沖縄芸能の研究所、教室が会員となり構成する。名嘉会長は「約400年前の江戸時代から川崎と琉球が、実はつながりがあったのが私にはとてもうれしい」と先人の軌跡が誇りだ。沖縄芸能が集積する川崎で「江戸上りが再現できればと思っている」と語る。

 江戸上りの琉球使節団には優れた芸能者が集められた。組踊創始者の玉城朝薫も加わっている。東海道を行く大行列は道中、琉球の音楽を奏で異文化を広く伝えた。登城を前に使節団は品川宿には回らず、薩摩の上屋敷に入ったため、江戸上りで最後の宿場としたのが川崎ともいわれ、歴史上の足跡をしるした。

 川崎沖縄県人会(金城宏淳会長)が創立100年を迎え、沖縄芸能は常に県人の精神的な支えとして寄り添った。地域文化として定着した沖縄芸能は52年に川崎市が無形文化財に指定し、53年には神奈川県も指定した。名嘉会長は「川崎市民、沖縄県民にとっても江戸上りに象徴される、琉球の優れた文化を知る機会になればいいと思う」と期待を込める。沖縄県や、川崎市の友好都市・那覇市にも江戸上り再現への協力を求めていく考えだ。

(斎藤学)