生まれ育った沖縄の色を表現 画家 平良優季さん


生まれ育った沖縄の色を表現 画家 平良優季さん 自作の絵と共に並ぶ画家の平良優季さん。平良さんは日本画の技法を用い、生まれ育った沖縄の植物や生き物を色鮮やかに描く。作品名は左から「薫風(くんぷう)」「ハナウタ」「ハナウタ」=週刊レキオ編集室 写真・村山望
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夢は大きく、世界を目指す

日本画の手法を用い、生まれ育った沖縄の色鮮やかな草木や生き物、人物を描き出す画家の平良優季さん。独自の色彩感覚あふれる画面を支えるのは、沖縄県立芸術大学の大学院修士課程在籍中に出合った、寒冷紗という布を使って顔料の定着・発色を高める技法だ。博士課程では、寒冷紗の歴史と表現の可能性を研究テーマに選び、県芸の芸術表現研究領域において、初の実技系博士号取得者となった。その成果を生かし、数々の幻想的な絵画を生み出している。

「もともとは漫画家になりたいと思っていました」と振り返る平良さん。暇があったら漫画の模写をしているような子どもだった。

しかし、成長するにつれ「1枚の画面で、自分で思う想像の世界を表現するほうが性に合っている」と考えるようになり、絵の勉強をしたいと思い始めた。美術コースのある開邦高校に進学したいと思うも、周囲の声におされ知念高校へ。なぎなた部に入部し、部活に明け暮れる毎日を送った。

ハレウタ

「いきなり美術の世界に行くよりは、おのれの精神と肉体を鍛えに行った感じです」と苦笑するも、「なぎなた部に入ったからこそ分かることもあった」と話す。

高3のインターハイが終わってから初めて美術予備校へ。講習を終えて帰宅する時、周囲との実力差に涙することもあったというが、現役で県芸に合格。画家への道を歩み始めた。

「自分の色は強烈」

専攻は日本画。知念高校の美術教師が美大の日本画科出身で、作品を見て「日本画がいいんじゃないの?」と勧められたからだという。

鮮やかな色彩が踊る現在の画風を確立するまでには、紆余曲折があった。「学部の4年間は、暗い絵ばっかり描いていました」。顔料と接着剤が混ざったチューブ入りの絵の具を使う油絵や水彩とは異なり、日本画では、顔料と接着剤、水を自分で調合しなければならない。接着剤は膠(にかわ)と呼ばれる動物性タンパク質。濃度調節が難しく、しばしば画面がひび割れてしまい、絵がまともに描けなかった。その気持ちが絵に反映されていた、と回想する。

箱庭の詩(部分図)

転機は、修士課程の時に、寒冷紗(かんれいしゃ)と出合ってから。寒冷紗とは、麻や綿の繊維を平織りで織った布だが、画面に張るとひび割れが起こらなくなり、顔料の定着と発色もよくなった。

寒冷紗を用いて制作した絵が、公募展で入選。東京の美術館で展示されたが、その時、県外の作家と比べて「自分の色は強烈」と気付いた。

「それまで全然気が付いてなかったんですが、この色味は自分が生まれ育って見てきた沖縄の色なんじゃないか、と思いました」

平良さんの絵に沖縄のモチーフが登場するようになったのは、それからだ。

「今まで見てきた風景、人、生き物を描いたほうが自分の持っている色彩感覚が生かせるんじゃないかと思って、今に至ります」

研究の成果を絵に

花謡

博士課程では、寒冷紗が日本画の画材として使われてきた歴史を研究。県芸の芸術表現研究領域において、初の実技系博士号取得者となった。絵の制作も精力的に続け、数々の公募展で受賞・入選。さらに県芸などで講師も務め、多忙な日々を送っている。

制作の拠点は沖縄だが、発表の場は海外に広げていくのが、今後の目標。海外のほうが、日本画という固定観念にとらわれず、もっと自由に絵を見てもらえるからだという。「夢は大きく、みたいな感じですね」。平良さんが生み出す絵が、世界の人々を魅了する日が楽しみだ。

(日平勝也)

公式サイト https://www.yuki-taira.com/

(2024年6月20日付 週刊レキオ掲載)