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<書評>『沖縄県知事島田叡と沖縄戦』 戦争責任、冷静に見つめ


<書評>『沖縄県知事島田叡と沖縄戦』 戦争責任、冷静に見つめ 『沖縄県知事島田叡と沖縄戦』川満彰、林博史著 沖縄タイムス社・1650円
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 本書は、沖縄戦における県知事・島田叡と県警察部長・荒井退造について新聞記事や記録を基に徹底して検証した、数少ない著書の一つである。

 島田知事が着任して早々に、軍は知事に本島中南部の住民の北部疎開を要請する。これを受けて県は北部疎開に動くが、実態は「北部疎開は戦えない住民への棄民政策であり、…この後、北部に疎開した住民がいかに悲惨な状態に置かれていたか」を、同書では証言を基に詳細に書いている。

 私は以前、島田知事の前任者、泉守紀について著書「汚名・第二十六代沖縄県知事泉守紀」でまとめたが、泉知事と軍の関係は良くなかった。しかし、本書では「島田知事の着任によって…軍との関係も極めて円滑に行くようになった。その原因は島田知事の偉大な人格によるものであった」(沖縄方面陸軍作戦 防衛庁防衛研修所、戦史室)とあり、軍と県の関係が良くなったことで、その後の沖縄戦の悲惨へとつながってしまった。

 1945年4月、南部の市町村長や警察部長を集めた会議の中で、島田知事は「米兵と顔を合わす時が来たら必ず打ち殺そう」と指示。知事から県民への訓示(5月)では「我が国に勝利をもたらすために、以下の指示に従え。一、米兵を殺せ…最後まで抵抗し、敵を殺せ…」とある。この訓示が、島田知事が県民に対して出した最後の訓示だった。県は軍との間で「鉄血勤皇隊の編成並びに活用に関する覚書」を交わしている。14歳以上の全ての学徒が動員対象とされた。著者は、知事が抵抗していれば、このような事態は避けられたと指摘。戦争最終盤に島田知事がそばにいる者に対して、生きるように言ったようだが「それを聞いた人は果たして何人ぐらいいるだろうか」とも書いている。私もそう思う。

 2人の著者は「私たちは島田叡と荒井退造の個人を戦争犯罪者として断罪しようとするものではない。おそらく個人的には周りから信頼を得られるような人物だったのかもしれないが」と書いた上で、「天皇に命を捧げることを名誉であると信じた者が何をしたのか、そのことが何をもたらせたのか、客観的にかつ冷静に検証しなければならない」と、戦争中の知事、警察部長の責任を厳しく問うている。

 終章「何が問題なのか」では、県知事を題材とした映画「島守の塔」の製作に協力した沖縄地元メディアを批判し、メディアとして反省すべきだとあえて触れている。

 (野里洋・ジャーナリスト、元新聞記者)


 かわみつ・あきら 1960年生まれ。沖縄国際大非常勤講師。主な著書に「沖縄戦の子どもたち」「陸軍中野学校と沖縄戦」など。

 はやし・ひろふみ 1955年生まれ。関東学院大教授、元・新沖縄県史編集専門部会(沖縄戦)委員。主な著書に「沖縄戦と民衆」「沖縄戦 強制された『集団自決』」など。