沖縄の自然を織り込んで 花藍舎


沖縄の自然を織り込んで 花藍舎 古民家の工房「花藍舎」では4人が制作に従事している。(右から)代表の宮良千加さん、弟子の五十嵐昌代さん、渡久山紀子さん、ニュージーランド出身のメットカーフ・アイリスさん。手に持つのは端切れで作った韓国のパッチワーク「ポジャギ」のタペストリー。「花藍舎」の由来は、織機で緯糸(よこいと)を通す時に鳴る「カラカラー、シャーン」という音から。草木染めを表す「花」と、藍染めを表す「藍」の漢字を当てている=うるま市勝連の「花藍舎」 写真・村山望
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伝統の技法と柔軟な発想で作品作り

琉球藍をはじめとする沖縄の草木で麻や綿の糸を染め、手織りで作品作りをしている「花藍舎(からんしゃ)」。小浜島で技術を学んだ染織家の宮良千加さんが2012年に立ち上げた工房だ。近年は県内のさまざまな作家とのコラボも増え、製品の幅も広がりを見せている。昔ながらの技術を使い、自由な発想でものづくりを行っている宮良さんの工房を訪れた。

勝連城跡の麓に宮良千加さんが営む染織工房「花藍舎」がある。「琉球藍を中心にフクギ、ゲットウ、サクラなど、沖縄の大地で育まれた草木で糸を染め、手織りで仕上げています」と宮良さん。混じり気のない深い藍色や緑色や黄緑色、水色など、自然の色で染められた糸からさまざまな作品が生み出されている。

小物類の他、ストールやバッグ、帽子など、
日常で身に着けられるアイテムも制作(提供写真)

宮良さんが花藍舎を立ち上げたのは2012年。今では従来のストールやテーブルマット、コースターなどに加え、衣類やバッグなどのコラボ製品も手掛けるようになった。「異分野の作家さんとつながることで、今までになかったものが生まれる。それがすごく楽しい」と話す。最近では鍼灸(しんきゅう)師とコラボ、体を支えるために使う帯「草寿帯(そうじゅおび)」の開発も行った。原料となる藍や芭蕉の栽培も始め、徐々に原料の製造にも乗り出している。

染織を学びに沖縄へ

大阪の生地屋に生まれた宮良さん。高校生の時に親戚から土産にもらったインドネシアの絣(かすり)「イカット」に出合った。「自分はこういうものを織る人になりたい」。1989年、琉球大学へ入学した。進学先に沖縄を選んだのは、染織物の宝庫と知ったからだ。

「織物の師匠を探そう」と、伝統工芸展や織物の店に足を運び続けた。そんな中、出合ったのはなんとやちむん。いつ見ても心がドキッとする作品の作家が、陶芸家の島袋常秀さんだった。読谷の工房に「助手にさせてほしい」と直談判に行くと、「いいよ」と二つ返事で承諾。島袋さんの下で5年間、大学卒業後は人間国宝の金城次郎さんの工房で2年間修業を重ねた。やちむんに携わる中で「用の美」を学んだ。

工房では4人が得意分野を生かし、それぞれの感性で作品作りをしている

転機は沖縄に来てから7年後、やちむんの道に進もうと気持ちも切り替わっていた時だ。休暇中に訪れた小浜島で散歩していると、機織りの音が聞こえてきた。そこでリアカーに藍の葉を積んで手を青くしたおばあさん、成底トヨさんに出会った。家に招き入れてくれ、作業の様子や織った着物を見せてくれた。「私が学びたかったのは、これだ」と感動した。

巡り会えた理想の師匠

本島に戻った後、住み込みで織物を教えてもらえないかと電話をすると、これまた「いいよ」の返事。小浜島に移り、必死に藍染めや織物を学んだ。結婚・出産を経て約10年間島で暮らした後に、2人の子どもとうるま市に移住。本格的に活動するため花藍舎を構えた。

「美しい藍色に染め上がってくる糸の色を見るだけで、やりがいを感じる。織物は緯糸(よこいと)に何を入れるかで、表情が変わるので、試織して最高な組み合わせができた時は喜びもある」と染織の魅力を話す。

(提供写真)

現在目標とするのは、西表島で紅露(くうる)工房を営む染織家の石垣昭子さん。自給自足で制作する石垣さんは成底トヨさんの遠い親戚でもあり、折に触れアドバイスをくれる存在だ。「昭子さんのように人に感動してもらえるような、布や服や展示会ができるようにこれからもやっていきたい」と先を見据えた。

(坂本永通子)

花藍舎

うるま市勝連南風原152
TEL 090-5720-9268

※訪問の際は要事前連絡

※商品は、Galleryはらいそ本店(うるま市石川)、Galleryはらいそ識名園(那覇市真地)などでも販売

https://www.instagram.com/karansha_okinawa/

赤瓦の古民家を利用したうるま市の工房

(2024年7月18日付 週刊レキオ掲載)