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「D-51らしい、もっといい音楽を」デビュー20周年 YASUとYU、歌に込めた“沖縄”への思い


「D-51らしい、もっといい音楽を」デビュー20周年 YASUとYU、歌に込めた“沖縄”への思い メジャーデビュー20周年を迎えたD-51の(右から)YUとYASU=7日、那覇市の県庁記者クラブ
この記事を書いた人 Avatar photo 嘉手苅 友也

 県出身のボーカルデュオD-51が7日でメジャーデビュー20周年を迎えた。YASUとYUは「D-51らしい、もっといい音楽を作れるように頑張るので応援してほしい」と語った。]

 2004年メジャーデビュー後すぐに、「NO MORE CRY」や「BRAND NEW WORLD」など、テレビ番組の主題歌に採用されるヒット曲を連発した。YUは「最初の5年は記憶がないぐらい一瞬だった」と振り返る。

 YUは10年を過ぎて「本当に歌いたい曲を自分たちで考えられるようになった」と話す。

YASUも「自分たちが歌いたいかどうかが一番の判断基準で曲を作る。今後もずっとそうしていくと思う」とD-51らしさを大切にしている。

 20年続けることができたのは「自分たちだけで結果を残したわけじゃない。いろんな人に助けられながら、D-51が形作られてきた」とYUは語る。


 沖縄を意識した曲作りはしてこなかったと語るYASUは「沖縄の人しか使わない言葉が歌詞にあることや、雰囲気で沖縄を感じてもらえていた」と話す。当時のレコード会社から三線をいれた曲作りを提案されることもあったが、「古里の楽器をビジネスで使えと言われるのは嫌だ」という気持ちがあった。20周年を迎え、自発的に三線を取り入れたいと思い制作したのが、7日にリリースした「おきなわ」だ。ゆいレールのテーマソングに採用され、各駅の構内で流れている。

 今後について、YASUは「こっから30年、40年と求めてもらえるような曲作りを意識していきたい」と意気込んだ。

(嘉手苅友也)