「姉妹敵討」におけるマルムン「上原」と「崎間」は、前回紹介した冒頭の掛け合いに始まり、作中でも2人の会話は掛け合い漫才のように展開されていく。引用が長くなるが、見ていこう。
上原
一 いやひ崎間へい。わあ願のあすきゝくいれ
崎間
一 のふ願てをか
上原
一 まつはなさはきかれゝ。四五日先原あかりに大山下こおりのやあむちやらひ。けふの仕組やたら。亀松乙鶴たひ長刀しら刃出ちたゝかよたん。兄のうちかけれは弟のはつし。弟のうちかけれは兄のはつし。たかひにちゆひはつし〳〵
ここでは上原が崎間に「俺の願い事があるので聞いてくれ」と話を振り、崎間が「何を願っているか」と問うと、願い事の前置きとして、傍線部のように上原は姉妹のなぎなた稽古の様子を語る。これは作品において重要な部分で、上原のこの詞章以外で姉妹のなぎなた稽古の場面はないのである。この詞章に続いて上原は
上原
あゝわつたあかあきもおとろしやのみひもならぬ。ほんの脉やひゆるきあかたうたさあ。おれやまつあん。いやひ崎間へい。あの兄弟二人のかあけの清さや。さても〳〵きやあもいやらぬ。神か仏かむてとおまれる。むちや謝名の大主のこゝてめくてあすも尤。あのたひのうち。ちゆひわあとしにしゆんたうとんやらは。万〃の願たりて(略)
傍線部で真剣の稽古を見て驚き、見ることもままならず脈が上がったと感想を言う。さらに破線部で姉妹の美しさを述べ、姉妹のどちらかでも自分の妻にできたら、と冒頭で触れた「願い事」を言うのである。話を手短にするのであれば「願い事」をすぐ話せば良いのだが、崎間との掛け合いという形で、姉妹のなぎなたの稽古やその腕前を面白おかしく話し、それを前置きとして詞章を構成しているところに面白みやマルムンの機能が生きている。
さらにこの「願い事」について崎間の答えは次のように
崎間
一 いやひ上原。いやあ馬番くらいものゝ。こゝろざしやふんのおふ御大名。天にはし〳〵。高笑
上原に「身分をわきまえもしないで」と言って高笑いをするのである。崎間の詞章の後にある傍線部「高笑」はト書きであり、詞章の最後に崎間が高笑いをすることが指示されている。そしてオチであるが、2人の話の最後に
我如古大主
一 やあ〳〵馬番。これふとのおほこと見物場をて。いらぬものはなし無用やあらね。御払除のつとめ仕廻ともやらは。急ち詰所に戻ていけ
傍線部「いらないユンタクは無用」とバッサリ切る。上原・崎間の軽快な掛け合いがあるからこそ、我如古大主の通常の詞章に笑いが起こるのである。
(鈴木耕太、県立芸大芸術文化研究所准教授)