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きっかけはあの大手スーパーの助言 ノウハウ吸収し、未知の業態に挑戦<ビッグワン「おもしろさの秘密」>(4)創業秘話


きっかけはあの大手スーパーの助言 ノウハウ吸収し、未知の業態に挑戦<ビッグワン「おもしろさの秘密」>(4)創業秘話 店内には所狭しと商品があふれ、宝もの探しを楽しめるような陳列を。その原点には、創業時から取り組む工夫がある=ビッグワン那覇店(喜瀨守昭撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 古堅一樹

 沖縄のディスカウントショップの先駆けとして創業43年を迎えた「ビッグワン」(本社・沖縄市、久保田安彦社長)。最初の店舗をオープンした1981年に2億4000万円だった売上高は、2023年には79億円に達し、40年余で30倍となった。現在、直営の9店舗、フランチャイズの5店舗の計14店舗を展開中だ。そもそもどんなきっかけでビジネスが始まったのか。覚えやすく、ユニークな社名はどのように決まったのだろうか。創業時の秘話に迫る。

 ビッグワンの1号店となる那覇店が那覇市古島にオープンしたは1981年3月。当初は、土産物を扱っていた「三星物産」(那覇市)が取り組む事業の一つとして始まった。

ビッグワン1号店のオープンを報じる1981年3月7日付の琉球新報朝刊

 きっかけは、ビッグワンの初代社長で現副会長の玉城榮則さん(75)の提案だ。会計事務所などの勤務を経て、三星物産で経理担当として働き始めていた玉城さん。社の財務情報をまとめる中で「私ならこうする」とアイデアを出し、経理の業務範囲にとどまらずに営業や事業計画の作成などにも積極的に携わった。

創業当時を振り返るビッグワンの玉城榮則副会長=沖縄市のビッグワン本社(喜瀨守昭撮影)

 しかし、なかなか計画通りには進まなかった。県外で製作したキーホルダーや民芸品などを販売していたが、売り上げは伸びなかったという。玉城さんは「お土産品ではなく、別の事業へ投資すべきではないか」との思いが芽生えたと明かす。

転機となった出会い

 そんな中、転機が訪れた。大手スーパーのダイエーがハワイで構えていた店舗で沖縄物産展が開かれ、三星物産も協力することになった。沖縄の食材を集め、ハワイに住む県出身者や県系人らへ販売したのだ。県内外のバイヤーらと一緒に仕事をする中で、玉城さんは「民芸品以外の事業をやってみたい」との思いも明かした。すると、ダイエーや取引先の関係者から「ディスカウントショップは、これから伸びる」という助言を受けて「それなら(三星物産でも)やってみよう」ということになった。

ビッグワン1号店のオープンから約2カ月後、1981年5月3日付の琉球新報朝刊で掲載した広告

 ダイエーは、「ビッグA」というディスカウントストアを全国で展開していた。玉城さんは「ビッグAは、アルファベットの最初の文字だから、うちは数字の「1(ワン)を使い地域一番店を目指そう」との発想から「ビッグワン」という名称に決めたという。

「格安」を可能にできたワケ

 1981年3月6日。那覇市古島に建てた1号店は、オープン初日から多くの利用客でにぎわった。開店初日から1週間、日替わりで有名メーカー製の時計を先着100人まで100円で買える目玉商品などを売り出し、格安商品の評判が広がった。

 当時、店長を務めていた玉城さんは「かなり売れた。当時、時計などをディスカウントで売っているところはなかった」と笑顔で振り返る。

 オープン直後の特別セールを終えた後も、勢いは続いた。「始めた当初はとにかく売れた。仕入れてもすぐに品切れし、追いつかない状況だった」と話す。

独自の取引先から仕入れた倉庫へと搬入する社員ら=沖縄市のビッグワン本社(喜瀨守昭撮影)

 県内ではこれまでに例がない安さを実現した理由は、独自の仕入れ先にあった。格安で大量に仕入れることができる大阪の卸売会社などをダイエーのバイヤーらの人脈で紹介してもらい、ノウハウを学んで格安販売を実現した。未経験の業態への挑戦ながら、順調な滑り出しだった。仕入れはスピード感を重視。「スーツケースに現金を入れて県外の問屋へ出向き、買い付けしていた」(玉城さん)

「行くと楽しい店舗」

 利用客は広がり、一気に本体である三星物産の売り上げをビッグワンが上回るようになった。ビッグワン1号店のオープンから数年で三星物産は会社を閉じ、ビッグワンは単独で株式会社となって83年2月に中部店(沖縄市)、87年に石垣店(石垣市)をそれぞれ開店するなど、店舗を増やしていった。

おすすめ商品などを、いしみね店長が動画で楽しく紹介=ビッグワン那覇店(喜瀨守昭撮影)

 売り場について、玉城さんは「通路を狭くして高い位置まで商品を積むなど工夫した。(利用客は)どんな商品があるのか、宝探しのように店内を歩けるようにした」と話し、今につながる原点の「行くと楽しい店舗」を作り上げた。

 好調なスタートを切ったビッグワン。1990年代にかけてさらに店舗を増やした。軌道に乗ったディスカウント業に加え、他の業種へも進出して事業を多角化し、株式市場への上場も視野に入ってきた。順調に進んでいたかに見えたが、当時の社会・経済状況を背景に、思わぬ落とし穴も待っていた。

(古堅一樹)