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目指すは「2001年に株式上場」 事業多角化の最中、まさかの“経営危機”に <ビッグワン「おもしろさ」の秘密>(5)想定外のピンチ


目指すは「2001年に株式上場」 事業多角化の最中、まさかの“経営危機”に <ビッグワン「おもしろさ」の秘密>(5)想定外のピンチ ビッグワンの看板(資料写真)
この記事を書いた人 Avatar photo 古堅一樹

 創業43年のビッグワン(本社・沖縄市、久保田安彦社長)。当初は土産物を扱う「三星物産」の事業の一環で始まり、沖縄のディスカウントストアの先駆けとして、失敗を恐れずに多様な挑戦を続けてきた。しかし、常に順調だったわけではなく、想定外の事態で実は2回の経営危機も経験した。それを乗り越え、打開策を見いだしたからこそ、社員の結束がより強まり「おもしろい商品を生み出そう」という熱意にもつながっているという。

新店舗を続々と

 創業から10年余は売上高も右肩上がりで新規出店を続け、急成長を遂げたビッグワン。1981年に1号店となる那覇店をオープン。1年目に2億4千万円だった売上高は、10年目の1991年には30億円へ。名護店や石垣店、宮古店など、次々と店舗を増やし、1997年には8店舗目となる泡瀬店をオープンした。

 さらに勢いに乗り、ディスカウント業だけでなく、飲食やボウリング場、ゲームソフト販売など事業の多角化に舵を切った。CD・DVDレンタルや書籍販売の「TSUTAYA」(ツタヤ)の運営事業にも参入し、県内だけでなく、県外の市場にも進出していった。

 当時、初代社長として会社をけん引した玉城榮則(たましろ・しげのり)さん(75)=現副会長=は「いろんな業種のフランチャイズを県内外で展開していこうとした。(フランチャイズ契約をする店舗を募集する)メガフランチャイザーを目指した」と振り返る。「2001年に株式市場へ上場」を目標に掲げ、金融機関から積極的に融資を受けながら設備投資を重ねた。

金融危機、最悪のタイミング

 しかし、予想しない事態が起きた。1990年代のバブル経済の崩壊による金融危機に、国内の景気は一気に冷え込んだ。日本全体に深刻な影響が広がり、大手銀行や証券会社などの破綻も相次いだ。ビッグワンは多額の設備投資を実施し、事業規模をどんどん拡大していこうという真っただ中。最悪のタイミングだった。

 メインバンクとして頼りにしてきた全国大手の銀行も、まさかの経営破綻に陥った。これに連動する形で、他の金融機関からの資金調達も難しくなった。多角化した事業の運営は計画通りに進まず、負債だけが大きく膨らんだ。

 当時、多角化した事業について、初代社長の榮則さんは、手応えはあったという。しかし「県内外へ展開していくために、必要な資金を金融機関から借りていた。しかし、メインバンクは破綻し、他の金融機関も資金を融資できない状況になり、全部ストップした。資金を借りられることを前提に展開していた」と振り返る。

打開へ二つの方針

 創業以来の「最大のピンチ」をどう乗り切るか。社内で話し合い、出した結論は①ビッグワンの本体は、本業のディスカウント業へ絞る②多額の負債を抱えた他の事業は、全て別会社へ集約して整理していく―という手法だった。

 本業への専念を決めると、多角化した事業を次々に整理していった。「県内外で運営していたツタヤ店舗の営業権は売却した。工事中の建物や進行中の事業は、全部ストップさせた。きちっと線引きした」と榮則さん。自らはビッグワンの社長を退いて負債の整理に集中し、5歳上の兄・榮信(しげのぶ)さんに「再出発するビッグワンの社長を引き継いでほしい」と頼んだ。

弟から兄へ

 弟からの頼みに応じる形で2000年1月、ビッグワンの社長に就任した榮信さん。2代目社長の兄の下、再建に向けて動き出した当初について、弟の榮則さんは「最初は、金融機関からの融資が思うようにいかず、やはり苦労していた」と明かす。

創業当時を振り返るビッグワンの玉城榮則副会長=沖縄市のビッグワン本社(喜瀨守昭撮影)

 それでも、本業のディスカウント業の経営基盤を安定させることを重点的に進めていく中で「3年ぐらいで落ち着き、新規の金融機関の融資もついてきた」(榮則さん)という。店舗の増設や、効率的に仕入れ・配送などを行える拠点として物流センターも設置し、再び成長の軌道に乗り始めた。

 創業から約30年を榮則さん、榮信さんの兄弟でバトンをつなぎ、けん引してきたビッグワン。経営危機を乗り越え、業績を伸ばしていく中で2人は「会社を次の世代へ引き継いでいかないと会社は伸びない。若くて能力のある人へバトンタッチしよう」と決めた。

現場たたき上げの「3代目」へ

 そこで、白羽の矢が立ったのが現社長の久保田安彦さんだった。大学在学中にアルバイトとしてビッグワンで働き始め、社員となり、那覇店の店長や役員などを経験し、2012年5月、3代目社長に就任した。生え抜きで、各現場を熟知し、温厚な性格。榮則さんは、久保田さんを「3代目」に選んだ理由について「社員からの人望が一番あった。社内に『久保田が言うなら仕方ない』というような雰囲気あったのではないか」と話す。

現在のビッグワンをけん引する久保田安彦3代目社長=那覇市銘苅のビッグワン那覇店(喜瀨守昭撮影)

 久保田さんはディスカウント業に専念する路線を継承し、14年2月には、ビッグワン那覇店を拡張・移転させた。店舗面積は移転前の2・5倍に広げ、駐車場90台分を確保した。那覇店を中核店舗として位置づけ、次々と新企画を試行し、結果が出た商品や売り方などは全店へと展開していく仕組みも整えた。格安の商品は利用者から支持され、売り上げは順調だった。しかし、安さを追い求めるあまり、新たな課題に直面してしまう。

(古堅一樹)