「このレッドカーペットを歩くのが目標でした」。男性ボーカルグループ「ENJIN」(エンジン)で県出身のA.rik(エーリック)は21日、那覇市の国際通りで開かれたレッドカーペットを初めて歩いた感想を聞かれ、こう話した。同じく県出身でENJINメンバーのSOL(ソル)も「小学生の頃から見ていた」と振り返り、声を弾ませる。2人は今回の映画祭の関連イベントに出演し、夢をかなえた。
16年続いた沖縄国際映画祭。大崎洋実行委員長が目指したのは「エンタメの島」だった。大崎さんは「観光業以外でどのような産業が興せるかを考えて、エンタメ産業を創出する島はありだと思った」と振り返る。「伝統芸能があるからこそ、新しい沖縄の芸能が必要。『おーきな祭』がきっかけになれば」。
大崎さんの言葉通り、イベントは映画にとどまらず、お笑いライブ、アイドルやバンドなどのステージ、アートまで広がった。特にレッドカーペットでは人気俳優やタレント、アーティストが歩き、もはやメインイベントと化していた。
最後の映画祭のエンディングはライブステージだった。「シンカヌチャー」を歌い上げた歌手の宮沢和史さんは「沖縄の素顔を見ることができる非常に貴重な時間だった」と話した。第2回から映画祭の関連ライブなどに関わっているかりゆし58の前川真悟さんは、映画祭を「沖縄の持っているエネルギーや魅力を世界に発信する場所」と話す。その上で「孤島で生まれ育った沖縄の人たちに、自分の今いる場所が夢の世界にちゃんと地続きでつながっていると感じさせてくれた」と意義を語った。
長年、沖縄のエンタメに携わってきた沖縄テレビ報道制作局次長の山里孫存さんは、沖縄国際映画祭について「これまでつながりがなかったタレントたちとつながることができた。テレビ中心のエンタメという部分では活性化した」と見る。映画祭の時期に来沖する俳優やタレントが、沖縄ロケの番組を収録し全国で放送される―。「沖縄がすてきな場所だと知らせる効果はあった」と語る。その上で「映画祭というより、祭りという要素が強かった。吉本のトップの人たちが始めたもの。沖縄の人たちが自らやりたいと始めていたらまた違ったのかもしれない」と推測した。
(田吹遥子)