今秋全国公開! 「島ぜんぶでおーきな祭 第16回沖縄国際映画祭」上映作品、『おしゃべりな写真館』 (2ページ目)


この記事を書いた人 Avatar photo 饒波 貴子

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生活しながら丁寧に紡いだ手づくり映画

―作品のジャンルとしては「感動ファンタジー」でしょうか!? 役づくりについて教えてください。

監督:ジャンルは何ですかね(笑)?

賀来:私が演じる敬子のお父さん役が橋爪功さんで、芸達者な橋爪さんならではの楽しいシーンもあり、ファンタジーもちょっと入り…。自分の最愛の人、旦那さんでありお父さんを残してこの世を去ってしまう役なのでとてつもなく切なく、最初のナレーションの重要性を感じました。お父さんとは確執があり、ずっと一緒にいて支えたい夫の雄二さんを残してまさか、というのは切なすぎてそこを大事にしたいという思いで演じました。

中原:フォトグラファーを演じましたが写真はもともと好きなので、その面での役づくりは特にありません。目の病気を抱えることが一番大変で注意して演じました。そして妻の姿が見えた時の「敬子、ありがとう」というシーンは映像に映った時にどういう風に見えるか、といったところなどの芝居が気になりましたね。真っすぐ見られないのでちょっとズラして見るとか、確認しました。監督は細かいことを言わずほとんど任されて演じましたから、自分で作らないといけない部分が多かったです。でも一番気になったのは、橋爪功さんと僕が同級生くらいに見えるんじゃないかということですよ(笑)。監督に聞いたら「大丈夫です」と答えたので安心しました。演じる側としてはクリアしないといけない気持ちがあるので、意外にそういったところが気になったりこだわったりしましたね。

賀来:全然でしたよ。

監督:実際に橋爪さんは中原さんより10歳年上で、賀来さんは10歳くらい年下ですからね。

―山木さん、本作が演技初挑戦だそうですね。心掛けたことを教えてください。

山木:事情は違いますが、演じた麻衣の状況は自分に似ていると思いました。北海道には1人で行き撮影に参加したので。その時に思ったことや自分で感じたことを覚えておこう、と思いました。そうやって感じたことを、この映画でも生かせるようにと心掛けていました。

―大型新人として活躍が期待できますね! 山木さんのような新人さん、キャリアのある大俳優そして町の人々。キャスティングがさまざまですが、作品にかけた監督の思いを聞かせていただきたいです。

監督:自分で作りたいと思って作った映画です。なので嫌いな人は呼んでいないというか、スタッフもキャストも大体みんな知っていて、仲良くやれる人だけにお願いして製作しました。そんなことはできないよ~という雰囲気の俳優さんは、ご勘弁願ったんです(笑)。僕がやるなら手伝うよというスタッフしか来なかったので、現場がギスギスすることは全くなかったと思っています。(山木)雪羽那は最初のころに来てマネージャーさんは帰ってしまったし、1人きりになって本当に大変だったはずです。ホテル住まいだったのがしばらくして町の民家に世話になり、寄宿生活していました。里親のようになってくれ、そこにはワンちゃんもいて気持ちが楽になったと思う。映画が完成して試写会をやった時もそのお宅に泊まって、家族のようになっていました。

―四季も映していますし、長期間の撮影だったのですね。

監督:芝居としては夏から秋に3週間、冬は1~2週間で、春はカメラマンだけ来て実景を撮ってもらいました。中原さんの宿は私の家だったんですよ。

中原:最初は夏場に行ってホテルに泊まったんですけど現場まで1時間くらいかかり、遅い時間に帰って来ても何もなくて。不便だったので秋場からは町に移りたいと話しました。でも鹿追には民宿が1軒あるだけなので分散して宿泊し、僕は監督が借りられていた家に居候させてもらいました。朝昼晩ずっと一緒でした、寝るところはもちろん別のところでしたけどね(笑)。

監督:中原の間があったんですよ。長い時間を一緒に過ごしたという意味でも、手作りの映画ですね。

―合宿撮影のようですね。シンボルになる写真館の建物がとてもすてきですが、十勝にありますか?

監督:はい、笹川の中で1本の木と山が見えるところを探し、何もないところに建てさせてもらったんです。今も建っていますが撤去しないといけません。

賀来:もったいないんですよ。

中原:家の中のセットも、飛び上がったりしても床などびくともしない。

―立派な造りで頑丈だったんですね。映画のシンボルとしてずっと建っていてほしいです。

中原:撮影が早々と終わった気がして寂しく感じます。

監督:大工さんが建てたのでガチッとした造りで、撮影のセットではないんですよ。壊さなきゃいけないのは、本当に寂しいです。

―写真館を建て合宿しながら住むように撮影した、特別な映画ですね。

監督:夢のような映画とでもいうのでしょうか。1年かけ数回に分けて撮影し、その度にスタッフもキャストも来てもらいました。僕にとって最後の映画になるだろうという気持ちで、鹿追町に行ったんです。でも撮り終わったら、また他でも撮りたいと思いましたよ(笑)。