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追悼・金城政則さん 「首里劇場守る」一心に <沖縄まぼろし映画館>157


追悼・金城政則さん 「首里劇場守る」一心に <沖縄まぼろし映画館>157 首里劇場の受付で得意のポーズを披露する金城政則館長(2020年12月撮影)
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 沖縄現役最古の映画館「首里劇場」(1950年開館)の館長・金城政則さんが4月9日に亡くなった。享年67歳。ご遺族によると4月5日に突然体調を崩し、病院にて検査したところ末期のがんと診断された。本人はすぐに帰れると思っていたそうだが、わずか4日後に息を引き取った。返す返すも残念と言わざるを得ない。

 生前、政則さんにお聞きしたところによると、「首里劇場」で働き始めたのは今からちょうど半世紀前。17歳から先代である父・金城田真を手伝うようになった。担当は映写に関わること全般。一度はキックボクシング選手になろうと上京したこともあったが、1年ほどで沖縄に戻り、変わらず父をそばで支えた続けた。

 2002年に父親が交通事故で亡くなると、政則さんが館長を継いだ。長年働いていた従業員が辞めた後は、1人で劇場の業務を全てこなした。

 筆者が劇場を訪れる度に政則さんは「こんなボロ劇場に何しに来たのか」、「明日にはつぶれているよ」と自虐ネタで出迎えてくれた。写真を撮ろうとすると、なぜか自身が考案した「琉球ハブ拳法」のポーズを取るのが常だった。そんな癖の強いキャラを目当てに訪れる人も多かった。

 人前ではふざけてばかりの政則さんだったが、劇場に対する情熱は本物だった。時折真剣な面持ちで「ここは初代館長の叔父と親父が大切にしてきた場所。自分が守らないといけない」とつぶやいた。その心意気が頼もしかった。

 ご遺族に劇場の今後について意向をお聞きしたが、跡を継ぐ者がいないので再開は難しいという。建物の老朽化も進んでおり取り壊しもやむを得ない状況だ。だが、「首里劇場」は戦後沖縄の大衆文化を体現する貴重な歴史遺産である。どうにか未来に残すことは、できないのだろうか。

 そこで筆者を含めた有志で建物の保存および記録をするべく動き出しているのだが、クリアすべきハードルがあまりにも多く困難に直面している。しかし可能性が1%でもあるのであれば、そのわずかな明かりを探っていきたい。

 政則さんの遺志を無駄にしないために、残された私たちにできることは、まだあるはずだ。

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)